2011/07/13(水)00:07
神に愛されていたのは親父だ。
まだ10年も経っていないのだけれど、ずいぶん昔のように感じられる。
初めてキリスト教の牧師さんの話を聞いたとき、
鳥肌が立つほどに感動したのを覚えています。
そこに私の人生そのものがあったからです。
初めて聞く話のはずなのに何を言っているかが、すぐに分かってしまう。
牧師さんにも『あなたのような人は珍しいです。』と言われたことがありました。
私自身も、とても不思議な感覚でした。
初めて触れた宗教の話のはずなのに、とても身近なものに感じられて私の心は、すぐにキリスト教に寄り添ってしまった。
しかし、今ようやく、その理由が分かりました。
牧師さんの話の中に私の人生そのものを感じたのも、ちゃんと理由がありました。
私の人生の中には常に親父がいました。
私にキリスト教の牧師さんの話が理解できるように親父が教育してくれていたからでした。
私が、その事に全く気づいていなかっただけでした。
もちろん親父はキリスト教の『聖書』なんぞ唯の一度も読んだこともありません。
牧師さんの話も、神父さんの話も聞いたことなど一度もありません。
見ていたものと言えば『洋画(映画の方)』くらいのものでした。
でもね。
親父の生き方がイエス様の言いつけを守るような生き方でした。
多分、それで親父はクリスチャンの方から『クリスチャン』と間違えられていたのでしょうね。
神に愛されていたのは私ではなく親父だったのですよ。
私はその流れに乗っているだけなんだよね。
流れに乗せてくれたのは親父です。