学芸会で泣いて棒立ちだったわが子
今日は、三番目と四番目の我が家の娘達の学芸会の日であった。主人は仕事で泊りだったので、私は、長女と次女を従えて、学芸会の会場に一番乗りをした。場所は、町役場の3Fで、50~70の席が用意されている、ちょっとした集会場のような広さだった。早く行ったお陰で前に席を陣取って、写真撮影もらくらくできるいい位置。これで、私ができる子供への精いっぱいのことは全部やった。が、果たして肝心の本人達がどうなるか…という不安だけは拭い去れなかった。学芸会は、年齢で三つのグループに分けられ、踊りやマット運動を披露するという内容である。四番目の子がまだ満二歳になったばかりなので、泣いて何もできないだろうということは十分に想像できた。だが…さらなる問題は三番目の子の方であったのである。学芸会の間、三番目の子は24の出し物の中で、7回登場する予定だったのだが…。1回目の登場…。何もせず、棒立ち…。ま、それでも貸衣装来てるし、かわいい姿をみれたからいいか。と、思っていたら…。2回目…。棒立ちからついには大泣き。多分、今日着ていった大お気に入りの「アンパンマン」のTシャツを脱ぐことになってご機嫌斜めになったのだろう。それから5回目の出場までずっと泣き続き…。司会の方が「○ちゃんのお母さん~~。どこですか~?残念ですね~。」と呼びかけられる始末。司会のお兄さんも気を使って「○ちゃんは、今、この歌の主人公の悲しい気持ちを表そうとして泣いているんだね」とフォローしてくださるのだけど…。相変わらずの娘の態度。私が舞台のすぐ近くに行って、何か言ってやれば…と、近くのお母さんに言われたが、それをやれば、確実に娘は舞台を降りてしまう…。じっと遠くで見ているしかなかった。ついには5回目の出し物の時には途中退場の羽目に…。そして、4女も泣きっぱなしで、2回目には出てこず…。頭痛も始まるし、3女、4女は舞台で泣きっぱなしだし、心が痛むばかりである。「ああ、もうダメだ。これではかわいそうだ。途中だけど連れて帰ろう」と心に決めてしまった。すると、横にいた長女が「お母さん、最後まで見て帰ろう」というのである。本当に苦しい決断だった。なぜなら、司会の人に呼びかけられたので、私が「あの泣いてる子」の母親だとわかってしまったから、居づらいという理由もあったのである。弱った体と心に、長女の一言が釘をさした。そうか、これは私の勝手なわがままか…。せめて最後までみてやるか…。そして、3女の6回目の出し物。マット運動である。1人ずつ、マット上で前転をするというものである。母親の弱気を察した長女が、舞台の3女に必死で身振り手振りで笑わせようと奮闘しはじめた。すると、ふっと3女が笑ったのである。そして、最後に残った3女のマットの出番。泣いてない。司会のお兄さんも「お~!○ちゃん。今度は大丈夫だね。がんばれ~」すると会場の父兄の方々からも大きな拍手が巻き起こった。「わ!~!~。」3女がマットに向って助走、前転。「わ~~。」パチパチパチ~~。その時にマット運動した誰よりも大きな拍手を受けたのである。近くにいた方からは「おめでとう~」という言葉をかけていただいた。私はその時は夢中で写真のシャッターを押し続けていたのでその意味、感動はあとから押し寄せてきた。一番最低の、一番さえない、一番情けない…そんな子でも、がんばれば、「天地がひっくり返って一番になれる」。どうしても、はたからみると、基準からずれたわが子をみると基準に入れるように親は必死になってしまう。でも、それは、子供自身にとっては、傷をうける行為なのだ。それでいいんだよと、大きく抱きしめてあげて、それでオッケーなのだ。その証拠に3女は、学芸会が終わった直後もご機嫌だったし、家でも「自分は今日たくさん踊って歌って楽しかった」と言っているのだ。これは、子供が成長するのではなく、親が成長した1日だったのかもしれない。なぜなら、長女が最後まで見ようと言わなかったら、私は帰っていただろうし、帰ってしまったら、3女の学芸会へのトラウマが造成されていたかもしれない。本当に、試練というものはあるんだなと、実感した。そして、その壁を突き破る時が一番つらく、苦しく、悲しい。でも、その先にステップアップする第二ステージが待っていることを知れば乗り越えられる。それが困難な場合には、必ず天は助言者をつけてくださるんだな~~と感じた。有意義な1日であった。そして、感受性の強い子は幼少時に泣き虫という自分なりの説を思い出した。ダウンタウンの松本人志さん、マッキー。幼少時に泣き虫だったらしい…。泣き虫でもいいじゃないか(^.^)/~~~ 将来こういう子が大物になるんだとそう日記には書いておこう(このセリフがわかる人は同年代ですね(^_^)v)