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受験は母親が9割とか、10歳までの読書量で学力が決まるとか、いろんな本が出ていて、読書レビューを見ながら何を読もうかなと迷い箸のようなことをしています。
母親が9割の話って、東大ですよね。世界が違いすぎて読むのも憚れる…それどころじゃないし。でも単純に読み物として面白いでしょうかね。遺伝子と経済力で決まると読む前から思ってしまうのですが。 10歳までの読書量で学力が決まるなら私の学力は相当高いはずなんですが、笑い話になってしまいます。 そう言えば小学校3年生の時の担任の先生は「桃太郎さんが一番伸びます!」と意気込んでくださいましたが、全然ダメでした。先生は読書量というより、人前で意見を言うことに対して褒めてくださったようでしたが、ただ単に空気を読まずに何でも言ってただけのような。 私の子ども時代はまだまだ絵本の大切さが親世代に認識されておらず、ペラペラとした雑誌のような絵本があっただけでした。 小学校一年生の時、先生が絵本「どろんこハリー」を授業中に読んでくださいまして、もう、ワクワクして、いたく感激しました。白黒の絵本なのですが、ハリーの可愛さとストーリーの素朴で温かい内容、魅了されたので私は書店に出かけました。 絵本など小学生が読むものではないと思っているに決まっている親にこれを買って欲しいとは言えませんでした。立ち読みしながらこの美しい絵本をいつか自分で買いたいと…たとえお小遣いであってもこれを買ったら怒られると思ったのでいつか、いつかきっと…と思いました。 娘が生まれて、早くどろんこハリーを読める時が来たらいいなあと憧れながら、赤ちゃん用の絵本をあれこれ買っていました。 ところでどろんこハリーに到達する前にたくさん読んでしまったので、娘の反応を今一つ覚えていないのですよね。多分、絵本を与えられ過ぎていた娘はたいして反応をしなかったように記憶しています。 憧れの絵本生活でしたので、これで学力が上がるなんて考えませんでした。ファンタジーの世界を一緒に楽しみたいと、それだけでした。 これで、娘の学力が高かったら説得力のある話ですが… 国語のできる子は算数もできる、と何度か聞きまして、かなり、疑問があります。国語と算数では脳の働いているところがかなり違うように思いましたが、それはもう遺伝子としか言いようがない。 この夏ごろから佐藤愛子さんの本をかなり読みまして、なんだか納得がいきました。佐藤愛子さんは作家一族ですが、歴代算数が苦手で、「私は低脳なのだ」とガハハ系にエッセイで書かれています。娘さんやお孫さんも算数が苦手だったそうで遺伝子なので早々と諦めて放置されたとのこと。まあ、あれだけの文章力、国語力なので算数が苦手でもかまわないでしょうし、佐藤愛子さんにとっては学歴を誇るのは馬鹿馬鹿しいことだそうです。お父様もお兄様もみんな算数で躓き、教科書に「毒本」と表紙につけてこてんぱんに怒られ、中学すら卒業していないけれど、作家として大成されていて、まあ、天才肌なのでしょう。 で、まあ、天才でも何でもない凡人はある程度算数ができた方がいいようにも思いますが、できないことを悲観する必要もないと開き直れるようになりました。 というわけなので、読書量で学力は決まらないと思います。でも読書は人生の糧になります。読書する力は読書でしか付かない。人生は辛いことの連続でして、先人のご意見を聞ける読書は助けになることは確かです。 学力と関係なく読書を楽しんでくれる子に育って欲しいし、もしできるなら子孫に伝えていってほしいですね。 さてさて、つまらないことを書いていないで読書でもいたしましょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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