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児島慶子さんの「解毒」を読んでいます。摂食障害と母子関係について書かれているとのことで。
前から興味はありましたが、でもセレブでエリート女性な世界というイメージがあったので世界が違いすぎるだろうと。 私は庶民で、摂食障害というよりはただの過食で太っているおばちゃんなだけだし。 まだ前半です。 確かに住んでいる世界も世代も違いすぎますが、何より違うのは持って生まれた感受性。こんなに繊細で知的だと見えなくていいものも見えるのですね。 私は頭の悪い自分を情けないと思うことが多いですが、愚鈍ゆえに人の悪意に気付くのも遅い。 私にとってまわりは全て優秀ですから、僻むこともあまりありません。妬むとか僻むというのはある程度同じ土俵に立っていないとできませんね。私にとっては優秀な光景、風景なので別世界なわけです。ま、そんなエネルギーがないというか。 慶子さん幼少時の記憶で小さい子や犬がまとわりついてくると腹が立っていたという下りにびっくり。 「無条件に愛されると思ってるの?」と感じられたので腹が立ったとか。 私にとっては犬や小さい子が虐められているというのは言語化できない苦しみです。それはかつての自分と重ね合わせるせいかもしれません。 だから無条件に愛されると信じている犬や子どもを見ると安心するのです。 うちのここちゃんも無条件に愛されると思い込んでいるらしく、お出迎えしてくれるところを抱き上げると得意そうに見えて嬉しいのです。 「どう?私に会えて嬉しいでしょ?」みたいな。 ここちゃんも愚鈍タイプな猫で、猫としての本能が薄くて心配ですが、いつまでも愚鈍で愛されていてほしいです。 感受性も知性も弱い私ですが、だからこそ生き残ってきたんだなあと思います。 ついでに体力もないのでなんとかしたいー。 しかし慶子さんの母への気持ちはよくわかります。愚鈍だからいじめていいとか支配していいってものじゃありません。 私は母の毒からなんとか逃げようとして、失敗しながらもなんとか今の平和な生活を手にいれたのです。 人から見たら失敗人生かもしれませんが、娘と猫のいる平和な生活は、這い上がってやっと手にいれました。それなのに怖い生活へ戻ってこいと母が追いかけてきそうで、そしてそこは振り向いたら私の大嫌いな、人への悪意、差別の世界です。這い上がってきたというのはそういうことの少ない世界へ自力で来たということなのです。 なので、後半を読んで慶子さんがどのように解毒されたか知りたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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