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私にとって大切な元上司が急逝されたと、娘さんから知らせがあったのは先週の土曜日。
遠い九州で亡くなられたので、私の体力では駆け付けることも叶わず、元同僚たちとお花を送るので精一杯だった。 私は凹みまくって寝込んだ。 元気だと信じきっていたのだ。急逝と書いたが、家族にとっては予想できる状態であったようだ。4月に娘さんの住む九州へ気分転換に帰ると聞いてはいたが、実は病気だったのだ。延命治療を拒み、自宅で緩和療法を受けながら人生を生ききると決心されたそうで、私には元気だという知らせしかなかった。 立て続けにご両親を亡くされ、ガン治療の壮絶さをご存知だったからこその選択だったのだろう。 九州に戻られてからは娘さんご家族と一緒に外食をしたり、小旅行をしたりと最後まで楽しく過ごされ、毎日幸せだと言っていたそうだ。きっと、お子さんやお孫さんに悲しい思いをさせまい、苦労をかけまいと思っていらしたに違いない。 そして、そんな、実情を知ったら真っ青になりそうな元部下には心配をかけたくなかったのだろう。 余命4ヶ月と知ってどんなお気持ちでいらしたか。 いつも、自分より人のことを大事にしていた。 私も大事にしていただいていた。 自信がなく、落ち込んでばかりいる私の話をいつも親身になって聞き、共感してくれた。 私の娘が思春期に荒れていて、離婚直後で家のローン、娘の学費、うまくいかない仕事、八つ当たりしてくる母…私は本当に消えたい思いだった。いいことなどなかった。 そんな時に「来週は美味しいもの食べに行こうよ。それまで頑張れるでしょ?」 と声をかけてくださり、私は本当にそれだけを頼りにその週を乗りきったことが、しばしばあった。 荒れている娘のことも 「全部受け入れてあげて。優しい気持ちはあるのよ。うまく表現できないのよ」 と完全受容を勧められた。 中学生の娘が茶髪になり、パーマをかけ、ピアスの穴を開け、成績は最低、高校に上がれるかどうかも怪しく、学校に呼び出され… 「そのパーマ、似合ってるねと言ってあげて」 「学校には頭だけ下げておけばいいよ」 「たとえ高校に行けなくても受け入れてあげて」 度胸の要る話だった。 全部実行できたわけではないが、基本的にはそのようにした。 娘は嘘のように立ち直って行った。 もっとも口の悪いのはなかなか治らなかったが、私は言い返さなかった。後になってどんなに酷いことを言ってもママは悲しそうにするだけですごく後悔していたと話してくれた。 それもこれも、全部元上司のアドバイスに従ったのです。 なぜ、65才の若さで、あんな優しい人を天国に召されるのですか。 置いていかないで欲しかった。 でも、きっと天国で大好きだったお母様とご一緒なのですね。 私はどうしたら… お花はグループで送ったので、本日、お香典にメッセージを添えて郵便局から九州へ送りました。 お子さんやお孫さんたちが元気でいてくれるから、その中に元上司が生きているから…それだけが救いだから。 そして私の心の中にも。 勝手に一人で過ごした初七日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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