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ふくママの庭日記

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2018.11.30
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カテゴリ:家族のこと
​​​ブログを始めて いつの間にか1年が経っていました。こんなに長くお休みしたのは初めてでした。
今日は 全くの個人的記録ブログです。
お花のカテゴリ-ではありますが、関係ない内容ですのでスル-してくださいね。



父が亡くなりました。


11月20日、仕事をしているところに電話が入りました。実を言うとその週末に実家へ家族全員で帰る予定にしており、父の施設の方にも伝えていたのですが、「間に合わないかもしれません、血圧が下がってきています」との連絡でした。
上司へ相談し、直ぐに帰宅。30分で支度を済ませ、長崎市まで4時間で車で向かい、フェリーに飛び乗りました。

これに乗り遅れると翌日の昼にしか帰れません。人間いざとなったらこんなに素早く決断して行動できるものかと自分で関心しました。

​父が発病して4年、高齢の母に出来ないことを私一人でやってきた日々。今までの大変だったことは全てこの日を安らかに迎えるためだったのだから、父の最期は私が看取るという思いで、車をひた走らせました。到着すると一時危篤だった父は話が出来る状態に持ち直していました。しかし全身状態は低下し、もはや口から何も摂取できない状態。喉が渇いたとひたすら訴えました。施設の方に点滴をして欲しいとお願いしましたが、もはや血管すらボロボロ、出来ませんとの返答でした。何も出来ない、ひたすら命の炎が尽きるのをただ見守ることしか出来ま​せんでした。
低酸素状態の脳は父に幻覚を見せ、迎えに来てる、早く逃げろ、おまえ達はお父さんが命がけで守る、そんなことを時々言いました。口渇は喉を掻きむしるほどで、私の名を呼んでは冷たい水、みかんを欲しがり、みていられなくなり、ガーゼに氷を包み、口元を濡らしました。もはやそれを舐める事すら出来なくなっていましたが、手の力だけは強く、氷を奪って飲み込もうとするほどでした。その理由が分かったのは次の日
のことでした。

父の庭の椿



帰って2日目には私の家族が到着。
半年ぶりに息子達に会えました。すると、理学療法士の息子が送った、手で握りならが筋力トレーニングを図る手具を棚から出せと言い、バネで負荷のかかったそれを力強く握りながら、じいちゃんは頑張ってたと言わんばかりに見せ始めました。送った息子も「分かった分かった」と頷きました。
家に帰れなくなって、絶望を味わったはずなのに、父はただただ、孫の言葉を守り、毎日毎日頑張っていたのです。
次の日には仕事で一時帰らなければならない息子達。長男を見て、元気な時と変わらない満面の笑顔を見せ、次男が握手をするとくしゃくしゃの顔になって泣きました。そして「仕事で辛いことがあるかもしれないが、必ず誰かが力になってくれるはず、その人を大切にして手を離すな」と言いました。前の職場で苦しんだ2人をずっと心配していた父の愛情を知った瞬間でした。




3日目には今までになく、一日中話しをしました。往診にきた医者には喀痰をティッシュで丁寧に包み、持ち帰って研究材料にしろと冗談まで言いました。

私の顔をしっかり認識し、名前を呼んでは水をほしがります。そのたびにガーゼに水を含ませ口元で絞ってあげました。
到着した姉も付き添いましたが、あれは誰だ?と言いました。父の面倒を一切見なかった姉に対する仕打ち、と言うよりは、この4年あまりに私との間に出来た親子としての強い絆を感じた気がしました。そしてそれは不動で、永遠な気がしました。

呂律が回りにくくなってきたと感じる頃、母に「今までに相当の苦労をかけてしまったな、済まなかったな。今までありがとう」と言いました。土地や財産の管理まで話しは及び、弱ってゆく身体とは対称的に頭は冴え渡ってゆくようでした。
そして私の名を呼んで、「人という字の意味を知っているか」と言いました。

(テレビドラマのセリフのごとく)支え合うという意味だよね、というと「分かっているならいいんだ。生きていく中で、どうにもならないときに人に助けられることが必ずあるんだ。その事に感謝して、おまえも誰かの力になって生きてゆけ」と言いました。
最後には「色んな人が来てくれて今までずいぶん世話にもなった、お礼を言ってくれ」と手を合わせました。

それだけ言って安心したように一時眠りました。

父の庭


次の日にはほとんど話しをしなくなり、時々触れてみると脈圧は弱まっていました。でも、トクトクと鼓動は触れます。父はまだ生きていると実感しました。
夕方になり、付き添っている 5人分の夕ご飯を買い出しに外へ出るときに、目を覚ました父が私を見ました。ちょっと出るだけなのに、もう私が帰ると勘違いしたのか両手で手を振りその手を合わせて拝むような仕草をしました。

いて来た姉が実家へ戻って食事を作ると言い出しました。胸騒ぎのしている私は一刻も早く父の元へ戻りたい気持ちでしたが、姉の言うとおりに実家へ戻ってしまいました。程なく母から電話が入りました。もう幾ばくの余談も無い状態と察し、急いで戻ったときには肩で呼吸を一生懸命にし、意識の無い状態でした。それでも私が呼びかけた声に眉がピクリと動いて、今でも分かってくれていたと信じています。そして呼吸が突然止まりました。大声で呼んで ダメだよ、息をして!と言うと深く大きく一息ついて再び呼吸は止まりました。それを2回繰り返して2度と動かなくなりました。

11月24日19時46分。
父は旅立って逝きました。


立派な最期を私達に見せてくれた父は、身を持って生き様までも教えてくれたようでした。立派で見事な最期でした。


火葬の時、父の遺骨は私の長男が抱きました。長男は実家へ戻って出産したので、生まれた瞬間から父が抱っこし、涙を流して喜んでくれました。
生まれたての時に抱いてくれた父を、その孫が抱いて天へと昇って逝きました。





お父さん、深い愛情をありがとう。
お父さんの生き様を胸に、強く生きていきます。お父さんがずっと私の自慢で、これからも変わりません。
じやあね、バイバイ。
そう言ってお別れしました



次回へ続きます

休んでいる間にも応援ぽちっとしてくださってありがとうございました。
感激で言葉もありません。

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Last updated  2018.11.30 18:49:38
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