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カテゴリ:哲学
「じゃあおまえやってみろ」とは大人の世界では有効なツッコミである。
あらゆるガキの戯言を凌駕する。生意気な理想を語る奴にいえばいい。だいたいは黙るだろう。一部は反論する。ちゃんと場が与えられればできると。それは昔の私だ。だせー。 団交が終り油断しまくりの役員のやりとりを聞いてふと相手の立場になってみる。おなじことを言われたらどうしよう。言わないだろうが。 いまのキャリア&哲学であればやはり同じように菓子食ってご機嫌だったりするのだろうか。同情ではなくて自戒である。 すこしはそういうしょうもない結果をふがいないとか思わないのか。思わないのだろうな。敗戦処理でそんなにうれしいか。うれしいのだろう。レベル低っ。 自分の美学をもちたい。そして老人力に勝てる説得力をもちたい。 いまはなにもない。夢はない。カネはない。理想は少しあるけど。なんて。 出世はいいけどカネはほしい。 ちなみに蜷川幸雄はこう反論するらしい。「ぼくはできないけどきみならできるだろう」なるほどうまい。 でもできるなら同じ土俵にのりたいものだ。 なにが腹たつって自分が腹たたないことだ。組合をやると会社がわかるとはいわれてしぶしぶ引き受けはしたものの達感諦感ばかりすすんでいく。これが「会社がわかる」ということならわからないほうがよくないか? なんとなく病人にむちうつかんじがするのだ。そう思われてていいのか役員? ・・・いいんだろうなたぶん。はあ(溜め息)。腹でも切れ!(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年12月02日 01時50分58秒
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