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カテゴリ:哲学
仕事が集中して壊れる。というより処理能力をこえる。机の上があっという間に花が咲く。伝票の山だ。月間でいえばたいしたことはないのだが、月の前半にそういう嵐のような時期がある。
限界っていってからが練習なんだよというのは故ジャイアント馬場の名台詞ではあるがそれにしてもダメだ。質がさがっている。多忙はスキルをあげない。ただ精神的に荒むだけだ。多忙であることを理由にいろいろわがままをやってしまっているような気がする。 上司は口癖のように「会社には人を増やすようにいっている」とはいうがあてにはならない。営業は簡単に増やすが管理系はなかなか増やしたがらない。カネは出て行くがカネにはならない部署からだ。 こういうときサッカーチームにおけるゴールキーパーを思い出す。強いチームはいちばん身体能力の高い選手をあてるが弱いチームほどダメな選手にやらせたがる。というと自分がダメな選手ということにはならないか。ってそういう意味ではなく。あくまで扱いの話である。プライドにかけて自分をダメとはいいたくない。 自分の会社に非常に仕事はやるけど偏屈な人間が多いなあとは思っていたが、理由がこんなときわかる。偏屈になることで仕事を頼みづらくすることで量を絞っているのだ。つまりは自己防衛だ。ほんとうは許されないのだが。 取替えの効かないアマチュアなシステムがそういう人間を多くつくってしまう。成長過程でのチェックがきかない。フォローしてないからこそ人間は偏屈になり、偏屈にならなかったものが普通にラインの上にたつ。どうなんだろうそれは。 会社員としてはどんな部署でもどんな仕事でもできるような人間を育てるのが普通だろう。って経営にまで目をやる余裕はない。 それよりは、ちゃんと仕事してるのみてくれてんのかよっ。という心配がつねにある。きっとこの心配の先になにもないと知った人々が偏屈ジジイになるのだ。やだなあ。 つねに笑っていたい。アホトークでストレスをかわしたい。 MISIAのライブアルバムを聴きながら家までウォーキング。ネギを刻んでキムチとハムでヤキソバをつくり、卵をしあげにかける。うまい。皿を洗いながらローレライのテーマを口ずさむ。そんなんでオーバーホールできるオレって安いのか。それとも修復能力が高いのか。 もっとわたしをみてっ!・・・ってアスカラングレイかよ。やだやだおたくは。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年03月08日 03時09分18秒
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