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カテゴリ:批評
劇場らしからぬきれいな空間で最小限の音楽と照明で演じられるシリーズの第3弾。
ちりちりとした台詞の積み重ねで語られる男と女の「顔」の物語。静かな中にも機微、緊張感が舞台をつつむ。東欧らしき場所で広がる無限の表現。舞台がロシアとするだけである程度感情表現のリミッターがはずせるのが面白い。それはたとえばフランスというだけでどこか芸術的であるとか、ドイツというだけで格調高く聞こえるとか、ロシアというだけで文学的であるとか。コンプレックスのなせるわざであるが。 かつて美空ひばり主演で濫造された「狸御殿」映画を思い出す。あらゆる矛盾を「だってこれは狸の国の話ですもの」ですっとばしていた幸福な時代。いいかげんともいう。 日本人作家による作品でありながら日本人でない役によってつくられる、しかしよく聴けば日本語の豊穣な表現以外のなにものでもない。そういう戯曲である。 イントロのやりとり。丁寧な言葉が編まれて「密室」という状況がつくられていく演出にどきどきした。正直な話目の前の男女にただ事でない雰囲気があれば「イツヤッチャウンダヨ」という見方をしてしまうものだが(一般論でなくて私だけか)、ちゃんとそれに応えるようなツクリ。リズムもいい。 オンナが双子ということで物語は動いていく。そしてオトコにもまたもうひとつの顔をつくらせることで物語というか関係性がゆらいでいくつくり。 男は虚を語り、女は実を語る。古今東西そういうものなのだなあ。と思ったりして。 めまぐるしくいれかわる役に2人の出演者は真正面からたちむかっていた。好感がもてる。全体に緊張感が維持されていた。いい意味で狂気が漂っていた。 贅沢をいわせてもらえば。2人芝居ということである程度はさしひいても、重い。台詞へ素直にたちむかった結果(副作用)ではあるだろうが。初日の堅さもあるだろう。 日本人作家が東欧を舞台にする意味。演出ではもっと「なんちゃって」な部分、「ロシア人ごっこ」の部分があってもよかったのではないか←なかったとはいわないが。 日本人が感情表現に起伏がとぼしいといわれるのは言語そのものが十分濃密だからだ。台詞を活かしたければ逆に台詞への無責任なかんじ、ある一定の距離があったほうが最終的にもっとむきだしの男と女が現れたのではないか。冒頭のベタな台詞から逆算するとそんな気がしたのだが。ちょっとまっすぐすぎる。それがこの劇団の味ではあるのだが。 いいウィスキーなら水で割ってもうまいはずだ。←あ、このフレーズ前回公演もつかっちゃった。→前回公演レビュー(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年03月18日 02時27分38秒
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