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カテゴリ:哲学
時間について考える。
~するヒマがない、とはよくいうセリフだが実は発想が間違っているのではないかと。 ~しよう、とあらためて時間をとろうとするとかったるいし、ヘタすればいつまでやってもやらない。あるいはやりすぎる。 それよりはたとえば5分間~しよう、と集中すればいいのだ。 週末だらだらと掃除するよりは、食事の前に5分だけかたづけるとか。 ブログも5分に限定して書きかけでやめるとか←やってみろって。 そういえば小学校での短時間読書は絶大な効果がある、とよく聞く。これもまた同じ発想だろう。 All or Nothingではなくて、5分だけなにかをする。集中力も磨かれるし、能率もあがるし、達成感もある。 たとえば年間で毎日5分をつかうということになれば5分×365日=30時間だ。恐ろしい。その集中をもって人生を突っ走るとすれば(ありえないけれど)、濃い5分間が何コマとれるのだ?と考えると、人を待たせるのがとても罪なこと、と思ったりするわけで。 といいながら平気で待たせたりするわけだが。 借金に利子がつくように、人を待たせることにも利子がつく、と心したほうがいいだろう。何で利子を払うのかわからないが。信用か? 作家がさんざん読者や制作スタッフをじりじりと待たせながらも作品をつくるのは、あれはある種の賭けといえるかもしれない。たくさんのひとの時間や忍耐や信用をBETして、偉大な作品を払い戻す行為。 つくづく自分がリーマンにしかなれないのだと思う。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月03日 01時11分18秒
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