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カテゴリ:哲学
私の会社のイントラネット上の個人スケジュールはだれでもみられるようになっている。
だれでもみるんだから動きがわかるようにいれとけよ、とはボスからいわれるのだが入力する時間をとられるのがアホらしいのでいれていない。いれていないのでよく怒られる←ダメじゃん。 たまに入力すると同僚から珍しい!と笑われるのもどうかと思うが。 実際入力に命を賭けているような人がいるのだ。そういう人とオレと足して割ればいいのだが。 それはそれとして。 ヒマな人がいるもので(というより業務上の都合だろうが)ヘンなことを入力しているとすぐ話題に上る。 今日ネタになっていたのはある男の予定表だった。 カツ丼 ただそれだけが書き込みされている。 なんどそりゃあ、と取材するとそのまんまの答えだった。 いや、今日の社員食堂のメニューでさー。頼み忘れたときにものすごく落ち込んだから絶対忘れないようにしようって。書いといたんだよねー ずるっ(笑介のアクションで) たしかに美味いのだこのカツ丼は。食堂のおばさんに教えてあげるんだった。さぞかし喜んだに違いない。 他人のスケジュールに記録される意味を考える。 他人の脳の一部をたとえ一瞬でも占めることに関わるというのは大きな意味がある。自分がやったこと、関わったことのためにエネルギーを使ってくれる人がいる、と考えればやりがいもあるというものだ。 かつて芝居をやっていたころにはそんなことは考えなかった。感謝はしていたけれど、そういう視点は欠けていた。たぶんそれが成長ということだろう。 人に会うというのはそういうことなのだ。たとえ、酒を飲むとかそういうしょうもない用だとしても。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月08日 01時04分58秒
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