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カテゴリ:哲学
電車のどまんなかに、猫耳をつけた女が立っていた。
なんだこいつ。まあ可愛いから許すか。 とネコミミフェチでもないが生暖かく見守っていると手には栗鼠(米袋サイズ)のぬいぐるみ。でっかいトランクのまわりに鼠袋。 ちっ、浦安鼠島帰りかよ。 なんで浦安鼠島帰りってみんなインテリジェンス溢れる(←自主規制)帽子を被っても許されるのか。猫耳とか鼠耳とか。 冷静になれ。その格好はなんだ。 とぶつぶついいつつ、家に帰ってそのまんまぶつぶつをかみさんにいうとこんな答えが。 あそこに行くと●●になるの。あそこは、弁当が禁止されているからあそこの食べ物を食べる。するとなにか混じってるのよ。だから●●になる。 ・・・●●は各自適当な侮蔑表現を。 なるほど食べ物か。あとは時間と携帯とサイフをとりあげれば完璧だ。時間と経済と外界から遮断すればある種のシステムのできあがり。 行列に耐えられるようにできているという時点で時間感覚は狂っているといえるかもしれない。 そしてサイフが緩むのもすべてはあの島の魔法だ。 せーかいーはひーとつー、か。ムスメも世間一般の親としてそのうち連れていかねばなるまい。残念だが。そして帽子を被るのか。せめてそれだけはやめよう。意地として。 もとむ。浦安鼠島処女。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月20日 01時33分41秒
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