カテゴリ:家庭
知人に、おせっかいと言われそうな危険を冒しながら「結婚式の招待状の返事の書き方」を教える。教えるだけでなく、詳しい説明の載ったサイトのURLが入ったメールを送る。
ここまでしても読まないやつは読まないのだろうが。 自分より年上のひとにそんなことをいうのもアレだが。知らなそうだったのであえて親切。親切というのは私の解釈であって、受け取る側にとっては暴力かもしれない。 招待する側としては「なんでこんなヤツをオレは呼んでしまったのか」という後悔があるよりはちゃんとしたやつを呼びたいモノだ。 ・・・という呼ぶ側がどうみるか?という話をまじえつつ説明。 自分も「知っている」と強くいばれるレベルではないが、どうやって知ったのか?知ろうとしたのか?という記憶をたどってみる。 あの瞬間覚えた!という記憶がないところをみるとおそらく親であろう。 こういうときはこう書くのだよ、というなにげない話であるとか、冠婚葬祭ではちゃんとしなきゃね、という態度の話であるとか。そういう日常の刷り込みによって常識を得ようという意識がどこかにひっかかっていたのだろうと思われる。 恐ろしいなあと思ったのは、親が教えてくれなければ知らないまま人生を歩む可能性も十分あるということだ。 そういうしがらみとは無縁で自由でいたいんだ とかチュウガクセーみたいなことを言い続ける人生=ずっと陰で笑われるつづける生き方(想像)。 ・・・ありがとうおとうさんおかあさん。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月14日 00時00分37秒
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