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カテゴリ:おたく
先日BS2で放映していた「朝日のような夕日をつれて’87」を観る。
襟幅の細いワイシャツに細いネクタイに刈り上げた髪型にうっとうしい前髪。ああ80年代。 さけぶ早口の演技とがちゃがちゃ無駄に動き股をわって立ち尽くす早稲田メソッドのカラダ。ああ80年代。 思えば遠くへきたもんだ。という実感。 だがなあ。 古くなってるんだよなあ中身。 物語の否定が結局否定でしかなく、その後になにも生んでいないところは批判のツールとしては機能したがなにもうまなかった共産主義のようで。 鴻上独特のパロディやツッコミが機能しなくなったのは日本国内で共通理解が失われたせいだろう。教養の失権。世代の断絶。権威の喪失。笑い飛ばせるタブーがいつのまにか20年間で消えてしまった。 いいのかそんなこといって?というタブーがなくなったわりには言論の自由はちっとも感じられないヘンな国になっている。 観るときに同窓会のように観てしまうのは作り手としては腹がたつことだろう。 ただ、そういう見方をするのは私だけではないはずだ。 そういう一過性の、ポップカルチャーとしてのカッコよさでもあるのだが。 これを観ると自分の学生時代を思い出す。リアルタイムではない。部室に「裏びでお」として転がっていたのを観た。「新しさ」にしびれた。鴻上のモノ言い、切り口。音楽の使い方を真似した。 でも。 ニューウェーブ。アールヌーボー。ヌーベルバーグ。すべては様式になってしまう宿命にある。 古い、と思うのはたぶん距離の問題だ。それはそんな自分の大学生時代からまだ「あちゃー恥ずかしいなにやってたんだオレ」と思う時間しかたっていないからだろう。 物理的な時間ではなく、精神の問題だ。 だから何年かして見直してかっこよく感じられたら。 たぶん自分がひとまわり歳をとって、過去を美化しはじめた証拠かもしれない。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月16日 16時13分58秒
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