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カテゴリ:哲学
私設の児童図書館を持っている方の講演録で面白いことが書いてあった。
読み聴かせをするときに「今日の献立をどうしよう?」とか関係ないことを考えてやっていると子供から「いまのところがわからない」と言われるらしい。 伝えるということは本気で伝えようとしないとダメだということだろう。 それは子供にかぎらない。 夜中に放映していたライブで同じ体験をした。 とある女性歌手が音楽イベントで熱唱?して片手を左右にふって客を煽っている。客は最前列ということもあって音楽にあわせて振ってはいるのだが、背中に正直な気持ちがにじみでているのだ。 あーいちおうふっとくか←リーマンかよ。 そんな声なき声が聴こえてきそうなライブは本人のやる気とはうらはらに非常に低いテンションで、派手な音楽と派手なライトとムチャなミニスカートが上滑りしていた。名前は知らないがたぶん●ーべッ●ス系のシンガー(笑)だ←なんでもカタカナでいうな。 技量といってしまえばそれまでだが、歌を伝えるということを意識していないのだろう。そういう匿名性の高いボーカルだから消耗品として起用されている可能性はあるけれど。 うまいひとはいくらでもいる。すごいひとはすこししかいない。 海外のアーチストと共演した都はるみが圧倒的な存在感を放っていたという話を聞くと日本人である以上は演歌にならざるをえないのかなあなどと思ったり。 かつて「うたいになりたい」といった歌手がいた。深い、いい言葉だ。 自分が喋るときもかくありたい。本気だけを話せればいいと思う。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年09月06日 09時08分17秒
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