|
カテゴリ:家庭
帰宅途中やれやれと席に座った途端、柱にすすむおばあさん発見。
「どうぞ」というと「次で降りますから」といいつつ、すぐに座っていただけた。安心。 こちらにも選定基準がある。山登りの格好のひとには譲らない。 なんで働いてきてわざわざ遊んできた健康なひとにゆずらにゃいけんのじゃ とエセ広島弁でいいつつ寝る。実に了見の狭い話だ。 いま譲ったひとも遊んできたのかもしれないが。気分の話である。 家に帰るまでが山登りですよ、という親心だ。子心か?←どっちにしても嘘だが。 譲ったあとはすみやかに別の場所に移動する。誰だっていつまでも「あんたに譲りましたよ」という視線を浴びながら座りたくはないはずだ。 しかし以前はなんであんなに譲るのが恥ずかしかったのだろう? たぶん「あいつええかっこしやがって」と思われるのがいやだ、とか 「年寄り扱いするな」とキレられる危険回避とかそんな理由だろう。 ちいせー。 いまならいえる。 「ええ、かっこつけてますがなにか?」と声なき声に反論し、 あるいはキレた年寄りには「失礼しました私より年下なんですね?」と懐柔(というよりただの嫌味だ)できる。 歳とともにでてきた厚かましさも悪いことばかりではない。いいことだっても堂々とできるのだ。 ・・・とWEB上で言い切る厚かましさはいかがなものか。 そのお年寄りは私が降りるころもまだ座っていた。やはり「次で降りる」は京のぶぶ漬であったらしい(←間違った使い方)。よかよか。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年11月18日 00時14分13秒
|