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カテゴリ:哲学
ムスメの誕生日にちなんだ絵本をみていたら、父親が子供に思い出を語る場面がでてきた。
4歳児相手にアルバムで赤ちゃんのときのエピソードを伝えるのだ。 たかだか4年でなにが思い出だよ・・・といいかけてふと気づく。 子供にとっての4年は長い よく考えればあたりまえの話ではある。 まったく知らない星にある日突然降りてきて、知らない生物と出会い、知らない食べ物を知り、知らない言語をマスターしてきたのだ。 長くないわけがない。 最近、回想表現が増えた。ただの言語発達ととらえていたのだが、世界認識の問題と思わなければいけないようだ。 かみさんによれば、回想も完璧ではないらしく。突然違うことを思い出すそうだ。まだまだ引き出しにラベルを貼っていく過程らしい。 親と子でギャップが生じるのはそのへんの価値感だろう。 親は子の時間の濃厚さに驚くが、子は自分の時間に目をむけてくれない親にいらだつ。 たぶんこの差は埋めようとしないと埋まらないのだ、とつねづね思うべきなのだ。 子が親の時間に気づくとき、大人になったというのだろう。 親が子の時間に気づくとき、「親」に近づいたというべきだろうか。 今度親に聞いてみよう。(♂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年12月15日 01時53分40秒
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