|
テーマ:癌(3513)
カテゴリ:母の病気のこと。
今日、明日の管入れる手術の前にシャワーあびたいと
母が希望して、11時から16時まで外出(というか帰宅)。 ワタシは2時ごろきて、と父に言われたので15分ほど早く到着。 もうあがっているころだと思ったらまだだった。 父がパンツいっちょでシャワーを手伝っていた。 冷蔵庫の中をのぞいて牛乳など、買い足してこようと スーパーに行ってきた。 帰るとお風呂から出てちょっとグッタリめの母。 鼻からチューブはそのままにして外出してきたらしい。 チューブいれるの、痛いからあんまりとったりつけたり したくないんだって。 「聞いた?」と母。 「うん」ワタシ。 「なんでこんなことになっちゃったんだろうねぇ・・・」 「ミニスのソフトが食べたい」 「ヘブが幼稚園のころお遊戯会の後にみんなで行った いろいろなサラダがあるところ(いまはなきシズラー@江古田のこと)に また行きたい」 「ハグっちと千葉のおじさんの家の近くの海にまた行きたい」 などなど、ぽつりぽつりと話す母。 まだまだ自分の病気が受け入れられない様子。 白目は黄疸がかなり出ている。黄色いもん。 お風呂でて少し落ち着いたところで耳掻き。 母の耳掻きはずーっとワタシの役目なのだ。 なんだかなぁ、、、あと何回耳掻きできるかなぁとか考える。 母の父、ワタシのおじいちゃんは66歳で亡くなった。 母の二番目の兄は71歳。 なんで自分はまだ62歳なのに・・ ずっと働いてきてこれから遊ぼうと思っていたのに・・ 無念なんだろうな。 家に帰宅しているとき、通帳のありかとか 細々としたものをノートに書いて父に指示。 全部母がやってきたのでどこになにがあるか 父には全くわからない。 洋服とかそういうのもわからず 同じモノばかりきないで、○色のあの服にしなさい、と 背広はあれ着てきなさい、とか。 靴とかも、もうこれは履く機会ないだろうなとかいいつつ 捨ててくれと指示したり。 こういうこと言われると、つらい。 病院へまたもどるとき 「もどりたくないな・・・」 でも、病院戻って 「もし退院したら鏡台を捨ててそこのところに 段が低いベッドを置いてそこに寝ようと思う」とか 考えを語った。 考える時間は山ほどあるものね。 お寿司屋のサービス券がたまっているから 食べられるようになったら食べようね、とか。 まだどん底と退院への希望がごちゃごちゃな様子だけど 昨日父が朝4時から並んで夜7時過ぎにやっと先生と話せたよ いい先生だった、弟が動いてくれなくちゃ話を聞くことが できなかった、会って話が出来てよかった、とか なるべく明るく話してきたつもり。 泣くのは一人でこっそりと。 今日は主人がボンとハグっちを横浜へ連れて行った。 ヘブは留守番(ゲームだろう)。 明日も一人で病院いく 土曜日はワタシの家族全員でちょこっとだけ いこうと思う。 子供うるさいから長居できないだろうし。 弟からメールきて 「お母さんの様子はどうだ?」って。 「お父さんが皮膚がんだったとき(42歳)、死を覚悟したといっていた。 もう少しすると気持ちが落ち着いてくると思うって言ってたって」 父の皮膚がんのとき、ワタシは12歳くらいだったけど 全然知らされてなかった。 なんで父が入院しているんだろうって思っていたけど 探ろうとしなかった(と思う)。 父は足の中指を根元から切除して助かった。 弟は先週からずっと会社休んでいて 仕事たまっているのでGWは仕事かたづけないと まずいらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[母の病気のこと。] カテゴリの最新記事
|