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孤軍援け絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思えば涙更に流る 一片の丹衷 能く節に殉ず 雎陽千古是吾がともがしら 他に靡き今日復た何をか言わん 義を取りて生を捨つるは吾が尊ぶ所 快く受けん 電光三尺の剣 只将に一死をもって君恩に報いん (近藤勇 『辞世』 ) 1868 (慶応4) 年4月25日。 江戸府内板橋宿。 鳥羽伏見の会戦に敗退して後・・・。 旧新撰組隊士で構成される 甲陽鎮撫隊 を指揮し、 甲州勝沼、 下総流山と転戦。 新政府軍に抵抗を続けるも、 利有らず、 投降。 江戸へ送致されていた 近藤勇 は、 是の日・・・。 板橋刑場に於いて、 斬首刑に処される。 享年35歳。 降したりとは云え、 一軍の将たる者に対して、 余りにも過酷な処遇であった。 近藤を断罪した東山道鎮撫総督府は土佐藩を構成主力として居り、 土佐人の大多数は、 坂本龍馬 ・ 中岡慎太郎暗殺の下手人が新撰組であると信じ込んでいた。 従って、 近藤に強い遺恨を抱いていたからとも云われる。 然し、 近藤の最期は、 泰然として、 実に見事なものであったと伝えられている。 時流に抗し、 士道を貫き通し、 旧幕府への節義に殉じた、 剛直至誠の生涯であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 25, 2009 01:25:26 PM
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