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土曜日の書斎 別室

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November 26, 2010
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  1904 (明治37) 年   旅順攻囲軍、 第三次総攻撃を開始。

19041126.jpg
(舛田利雄監督作品 『二百三高地』 )


  ・・・白襷隊三千人は、 旅順大要塞の正面を突破して、 その背後の旅順市街に突入しようというのである。
  なんの現実性もない作戦であった。
  かれらのすべては大要塞がそなえる殺人兵器によって死ぬにちがいなかったが、 かりにこの夢想作戦の夢が実現するとして、 つまり三千人が一人のこらず旅順市街に突入できたとして、 そこでかれらはどうするのだろう。
  日本刀と小銃だけをもったわずか三千人の部隊が、 市街戦を演じたところで、 やがて鎮圧されるにちがいなかった。
(司馬遼太郎著 『坂の上の雲』 から)



  第二次総攻撃の失敗以来、 統帥部は第三軍司令部の能力適正を疑問視し始め、 司令官 ・ 乃木希典大将 の更迭すら議論されるに至った。
  バルチック艦隊は既に地中海に達している。
  戦争指導層が焦慮に駆られるのは無理からぬ事で、 旅順を攻め倦んでいる第三軍 (司令部) への風圧も強まらざるを得ない。
  そして、 是の日・・・1904 (明治37) 年11月26日。
  旅順要塞に対して、 三回目となる総攻撃 (厳密に云うと四回目であるが) の火蓋が切られた。
  松樹山 ・ 二竜山 ・ 東鶏冠山の三永久堡塁攻略に、 夫々・・・第1 ・ 第9 ・ 第11師団が投入された。
  相変わらずの正面攻撃で、 二百三高地 は主攻目標から除外された儘であった。
  各師団の攻撃部隊は、 熾烈を極める敵砲火によって大打撃を蒙りながらも突進し続け、 敵陣地の一角を奪取するが、 増援も、 弾薬の補充も得られない儘、 強力な敵の逆襲に遭い、 退却を余儀なくされた。

  乃木は、 遂に 中村覚少将 指揮下の 特別支隊 (白襷隊) の前線投入を決意するのであるが・・・。

19041205.jpg
(舛田利雄監督作品 『二百三高地』 )


  ・・・十一月二十六日より始められたる 第三回旅順総攻撃 の結果も亦全く前回と同一の悲惨事を繰り返して死傷三千六百余名を得たのみであった。
  それもそのはずで一、 二、 三回とも殆んど同一の方法で、 同一の堅塁を無理押しに攻めたてたのであるから、 同一の結果を来すのは誠に止むを得ない事であろう。



  陸軍参謀次長 ・ 長岡外史少将 は深く慨嘆し、 日記に綴っている。

  大本営 ・ 連合艦隊は、 旅順攻囲戦の初期段階から、 要塞正面ではなく、 二百三高地 を先ず攻略すべきであると、 繰り返し力説していた。
  全力を挙げて 二百三高地 を奪取し、 その頂上に観測所を設け、 旅順港内に逼塞している敵艦隊を沈めてしまえば、 それで第三軍の任務は終了する。
  要塞正面に打ち掛かる必要など何処にもない。
  露軍側も、 当初・・・ 二百三高地 の戦略的重要性を十分に認識して居らず、 その防備は比較的手薄であった。
  第三軍司令部の参謀連は、 弾薬の不足をボヤく前に、 大本営 ・ 連合艦隊の意見を素直に容れて、 早い段階で 二百三高地 へ攻撃を集中させていたら、 是を陥れる事は容易であった筈である。
  それが最悪な事に、 ちょっと突々いて見るか・・・程度の、 中途半端な兵力による、 中途半端な攻撃を仕掛けたものだから、 二百高地 が自軍の防衛線の最大の弱点である事を、 露軍側に気付かせてしまったのである。
  日本軍が相変わらずの正面攻撃を繰り返し、 徒に兵力の損耗を重ねている時、 露軍は 二百三高地 周辺地域に大補強工事を実施中であった。

  11月27日・・・総攻撃開始から二日目。
  第三軍司令部は、 遂に、 主攻目標を 二百三高地 へ転換する決断を下すのであるが、 その時には 二百三高地 は鉄とベトンで鎧われ、 濃密な火線に支えられた、 永久堡塁にも劣らぬ堅固な陣地に変貌を遂げていたのである。





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Last updated  November 28, 2010 04:30:00 AM
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