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6月22日はビートルズにとって、とても意味のある日になったのです。
彼らはデビューする前と後にドイツのハンブルグのクラブで演奏をしていました。 最初は1960年の8月です。このためジョンとポールは学校を、ジョージは仕事をやめたようです。 翌年2回目のハンブルク巡業で「トップテン」というクラブにビートルズは前年に知り合ったイギリスの歌手トニー・シェリダンのバックバンドとして出演していました。 それを見たドイツのロック歌手トミー・ケントがドイツで活躍していた作曲家ベルト・ケンプフェルトに推薦しその後ケンプフェルト自身もトップテンクラブを訪れて彼らの演奏を聴きレコーディング契約を申し出たそうです。 こうして彼らはその日レコーディングして、イギリスより早くドイツで8月にレコードを出すことになるのです。 しかしそのレコードには『ビートルズ』ではなく『ビートブラザーズ』とあくまでトニー・シェリダンのバックバンドとして記載されていたようです。 この日録音されたのは後のビートルズの伝説にも使われた『マイ・ボニー』、ジョンがたぶん美術学校で最初の妻シンシアにみんなが帰ってしまった教室で、ギターを抱え歌った『エイント・シー・スィート』、唯一ジョンとジョージの共作と思われる『クライ・フォー・ア・シャドー』などです。 録音場所がフリードリヒ・エベルト・ホールという学校で、同名の財団もあるようです。 次の日と二日かけてされたようです。 それにしてもジョンが教室で歌った『エイント・シー・スィート』はもともとのスローなバージョンか。それともロック調のジョンが言うところの「行進曲」のヴァージョンだったのでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年06月22日 12時15分31秒
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