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ビートルズの曲でリード・ヴォーカルをとっているメンバーが、だいたいその曲の主な作曲者ですけど、ジョンは自分が作曲した曲も時々他のメンバーに任せています。
1968年のきょうの録音のホワイトアルバムと呼ばれた「ザ・ビートルズ」の最後の曲「GOOD NIGHT」もそうですが、リンゴが歌うのにぴったりのような気がします。 そんなやさしい一面もあるジョンのエピソードをきのう僕は知りました。 1963年、ビートルズの2枚目のシングル盤は1月に発売され、2月にはとうとうイギリスでナンバー1になりました。 3月9日からの国内巡演でMONICA TICKELがEXETERで彼らを、アメリカ人歌手のトミー・ロウがメインだったステージで初めて見てファンになりました。 当時ヨークシャーにある男子校と文通することがはやっていたらしく、 MONICAの友人が男の子たちと文通することになったが、MONICAはとても動揺したそうです。 というのは、名前のせいで誰もMONIKAに手紙をくれなかったのです。 (「TICKLE」というのはくすぐる。こちょこちょするなどの意味がある。名前と発音、スペルが似ていたため不当な扱いを受けていたと考えられるそうだ。) MONIKAはジョンに「こういう理由で、誰も手紙をくれない」という手紙を出した。 するとジョンから返事が来たそうだ。 ジョンの文字で 「君の名前は変わった名前なんかじゃないからね。愛を込めてジョンより」と書かれ 封筒の裏にはビートルズのドラムスキンに書かれていた『アンテナつきのB』が描かれていたそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月28日 20時11分51秒
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