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1963年のきょうビートルズは、ロンドンBBCのパリス・スタジオでラジオ番組「ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ」で8月に放送される第8、9、10回の3回分を収録しています。
そのとき演奏した曲は、BBCでのライヴを集め1994年に発売されたCDで聴けます。このCDではビートルズの数多くの未発表曲を聴くことができました。 ビートルズファンならこれは絶対見逃せないCDだったのです。 それまでステージでも演奏したことがなく、レコードにもなっていない。 このBBCでだけ、1回しか演奏していない曲も収録されていたのです。 それは2曲収録されてあり、どちらもジョンがリード・ヴォーカルです。これは常に新しいことをやろうというジョンのチャレンジ精神の表れだと思うんです。 その1曲が『I JUST DON’T UNDERSTAND』です。付属の解説書には「ビートルズがなぜこの曲を選んだのかは不明」と書いてありました。 僕はこの曲の歌詞をまた見てみました。 すると大体の意味は、「相手が自分のことを必要としているなどと口では言うのに、自分のことを傷つけたり、裏切ったりする」という相手を愛し過ぎてしまった人の歌です。 僕はジョンが母親のジュリアが好きだったけれど、捨てられてしまった。また母親といい関係を築けると思った矢先に死んでしまった。 そういう悲しさを持ったジョンにはぴったりくる歌だったと思うのです。 おまけにラジオだからそんな弱い部分を聴衆に見られる心配もなかった。 (第一その頃のビートルズがその曲を選ぶとは誰も予想しなかったでしょうから。しかしその曲を選び歌うのが何よりジョンらしいと思うのです。) この歌を歌ったアン・マーグレットという人を知ったときに僕は確信しました。 ヨーコのような一人でも生きていけるタイプ? と直感したのです。 ジョンは最初シンシアという女性と結婚しましたが、ジョンにはシンシアでは物足りなかったのです。(シンシアのことはよく知らないんですけど)ヨーコのような、(ジョンは後にヨーコを何の役でもなれることができると言っている)バンジョーをジョンに教えることができた波乱万丈、歓迎タイプ?母親ジュリアのような女性に惹かれたのです。 あるいはこの女優であり歌手であるアンが、その時にジョンが好きだったプレスリーと映画で共演するもしくはしていることをジョンは知っていたのじゃないでしょうか? (1963年に映画『ラスベガス万歳』が製作され翌年公開されているようだ。) それを知らないにしても、ジョンがこの女性の歌を取り上げた理由は他にも考えられます。 アンはジョンより半年くらい年下でスェーデン出身ですが、1946年にアメリカに移住して大学を中退して芸能界に入り、コメディアンのジョージ・バーンズに認められテレビに出演してハリウッドのプロデューサーにも認められ映画界に進出しました。 ジョンはほとんど同年代で成功が約束されていると思えた彼女を知り、ビートルズも同じようにアメリカでも成功したい、成功するという願いも込められていたのだとも思えます。 アンは1961年、『愛情物語』など音楽関係の映画を得意とするジョージ・シドニー監督の(ジョージといえばジョージ伯父さんをはじめ、ジョンにとって生涯忘れることはなかっただろうと思える名前だ)『バイ・バイ・バーディー』に出演して『I JUST DON’T UNDERSTAND』も発表しています。 その他にもジョンが最後に出した『スターティング・オーバー』という曲のタイトルも正式には「JUST」という言葉が含まれています。 アンはその後ビートルズがイギリスでデビューした1962年10月に日本でシングル盤を発売しているようです。『バイ・バイ・バディー』という曲が何回もレコードになっているのでよっぽどこの曲はいいのでしょうか。(ビートルズも曲のタイトルが映画のタイトルになった) 他には『KANSAS CITY』や『日曜はダメよ』1964年にはシングル盤のB面で『ハートブレイク・ホテル』も出しています。 1975年には自分が長崎の映画館で見た「トミー」にも出演していたようです。 この日の収録は他にも書いておきたい曲があるのですが、きょうは長くなったので、放送日に書くという手もあったりしますよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月16日 21時12分33秒
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