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きょうのビートルズは1965年です。
とうとうジョンは自分の苦しみを歌にして発表したのでした。 ジョンが望んでいた世界の頂点にはとっくに登りつめ、後はマネージャーなどの言われるままに過密なスケジュールをこなし、有名になったがゆえ、もっともジョンに必要であった自由がなくなっていたようです。ジョン自身「太ったエルヴィス」と後で言ってたようです。 前年に映画とLPと同タイトルのシングル盤「A HARD DAY’S NIGHT」が成功したせいか1965年も映画とLPとシングル盤のタイトルが同じ「HELP!」を7月23日に発売しています。 この曲のテンポはジョンの理想よりも速いものでした。 しかし速くすることにより「PLEASE PLEASE ME」のようにヒットしたとも言えるでしょう。 ジョンによれば心の叫びは、みんなが本当にわかっていなかったのか、それとも、わかっていたのにもっとビートルズに活躍してもらうために、歌の中だけの「物語」にしておいたのでしょうか。 (ジョン)のビートルズはもはやこのシングル盤で終わったと思うのです。 ジョンは「HELP!」 とすべての人に助けを求めたのですから。 そのころシングル盤のA面で出せる曲をジョンとポールは競い合っていました。 B面ですがA面に負けないくらい、いい曲です。 何より玄人受けする曲です。 ポールの「I’M DOWN」はエアロスミスが1969年にデモテープをレコード会社に出すために一番最初にレコーディングしたらしいのです。 この曲はリトル・リチャードの「のっぽのサリー」のような、ステージを締めくくるにふさわしい曲を作ってやろうと思いポールがほとんど作りました。 たしか日本武道館の公演でも最後の曲だったと思います。 きっとジョンはこの曲と同じ日に録音されたポールの名曲にも嫉妬しただろうと思うのです。 そのうちの1曲は「YESTERDAY」です。 この曲はビートルズの代名詞にもなりうることは間違いないと思います。 このようにポールは作曲家としての実力もジョンや他のメンバーたちに見せつけ始めていたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月23日 20時33分08秒
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