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2日の毎日新聞に本の紹介でちょうどマゼランに関する本のことが書いてありました。大野拓司という人の本にはスペインに生還したのは35名と書いてありました。ウィキペディアでの人数と17名の差がありますが果たしてどちらが本当なんでしょう? マゼランは世界1周をできずに途中で亡くなりますが、マゼラン海峡や銀河、ペンギンなど多くのものに名を冠されています。 それだけの偉い人物だったようです。 ポルトガル北部のポルト近郊で下級貴族の親に生まれた彼は1492年、ポルトガル王ジョアン2世の1458年生まれの王妃レオノール・デ・ヴィゼウの小姓としてポルトガル宮廷に入り、コロンブスの新大陸発見やポルトガル人のバスコ・ダ・ガマのインド航路発見を知り航海への興味が膨らんだのでしょう。 1500年頃からポルトガルは次々にインド洋へ艦隊を送り出し、1505年にはインド洋の覇権をポルトガルのものにしようとポルトガルの貴族フランシスコ・デ・アルメイダの20隻の艦隊が出発しました。 これに希望して加わったのが初航海となる25歳のマゼランだったのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%B3 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%BC%E3%82%A6 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%80 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月05日 20時30分09秒
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