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2009年10月02日
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カテゴリ:Akibaでみつけた!

アキバを散歩した際に立ち寄った小さな神社です。

柳森神社の創建は古く、太田道灌の江戸城築城の際、現在の神田佐久間町(秋葉原駅などがある町名)辺りに柳を植えて鬼門除けの柳の森がつくられ、その鎮守として祀られたのが始まりといわれています。万治二年(一六五九)、神田川の築堤にともない現在地に移転。明治二年(一八七二)福寿社を合祀し現在にいたります。
秋葉原の柳森神社+の神様[1] [2]

この福寿社ですが、江戸幕府五代将軍綱吉の生母桂昌院が信仰していた福寿神を江戸城内に祀ったのがその創建といわれています。桂昌院は三代将軍家光の側室で、その出自は京都の西陣織屋の娘とも八百屋の娘とも言われる庶民の出。大奥の女中たちは他をぬいて(たぬき)玉の輿に乗った院の幸運にあやかりたいとこぞって江戸城内の"おたぬき様"を崇拝したといいます。後世、旗本の瓦林邸内に移設され、その後明治二年に柳森神社に合祀されました。

境内には実に個性的なタヌキ像が鎮座。とってもキモカワな感じです
タヌキ像[3] [4] [5]

柳森神社は稲荷神社なのできつねとたぬきが森の中で化かしあいしている的なシチュエーションでとても面白いです。

他、秋葉大神などいくつかの摂社が祀られています。

[6] [7] 

柳森神社は天保期(一八三〇~一八四四)ごろは富士講が盛んで富士塚も境内に築かれていたと言われていますが、明治時代以降何らかの理由で廃れてしまいました。しかし、昭和五年(一九三〇)、周辺住民によって近隣に富士塚が再建されたものの、第二次大戦後に富士講そのものが廃れてしまい、富士塚は破却。富士塚に使われていた石碑類を境内にこの写真のように積み上げ、かつての痕跡として残されたものです。

それぞれ対象末期から昭和初期に作られた富士講の石碑です。

小さな境内に江戸~東京の様々な歴史が詰まった神社でした。

室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社。
 また、おたぬき様と呼ばれる親子狸のお守は、勝負事や立身出世、金運向上にご利益があると信奉されているでした。

アキバを散歩中に吸い寄せられるようにフラフラとココへ来ていたのです。

私からして見ると、余り知られたくない神社ですよ ?

ここにお参りした後 ! 良いことが続きますの~不思議です。

色々と運が良くなったみたいです~。ヾ(〃^∇^)ノ♪

柳森神社

住所、千代田区神田須田町2-25-1






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最終更新日  2014年06月01日 15時23分39秒
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