森へ行こう(心とからだと子育てと)

2007/08/02(木)21:02

「自己表現と孤独」

昨日は、“これでお終い”と書きましたが、しつこく続きを書いてしまいます。 昨日、読み聞かせをしているときには、 お話しの中の現れる感覚や感覚に共鳴するように読んでください。 と書きました。 その感覚を自分の言葉で話しをしているときにも忘れないようにするのです。 人は話しながらでも感情や感覚が動きます。 その感情や感覚が言葉を紡いでいくのです。 でも、多くの人が自分の感情や感覚には見向きもしないで、上手に話そうとしてしまいます。でも、上手に話そうとした途端に、自分の感情や感覚が塞がれてしまい、表現が相手に伝わらなくなってしまうのです。 そして、だから言葉を紡ぐことが出来なくなって止まってしまうのです。 上手に話すのではなく、自分の感情や感覚に素直に話すのです。そうすると伝わるのです。 ただ、感情を生のまま出すのではありませんからね。 例えば、怒ったときには感情が生のまま出てしまいますが、それではかえって伝わりません。そうではなく、自分の怒りを感じながら話すのです。 それと、今日なぜ続きを書こうと思ったのかということをちょっと書きます。 今日は横浜で絵の具遊びをしてきたのですが、往復の車の中でユーミンの曲を聞いていました。 すると、その中に“自由と孤独はセットになっている”という歌詞が出てきました。(曲名は分かりません) そうなんです、自由と孤独はセットになっているのです。 そして、自己表現は自由な精神でないと出来ないことなんです。 なぜなら、自己表現は自己を表現することだからです。誰かの真似をするのは自己表現ではないのです。つまり、自分が自分自身にならないことには自己表現はできないのです。 つまり、自由な精神でないと自己表現は出来ないのです。 それで、問題はここからです。 つまり、自己表現を行うことは孤独を受けいれる覚悟が必要だと言うことです。 欧米では一人一人が切り離され、自立した個として考えられていますから、最初から孤独を引き受けているのです。でも、日本人はそうではありません。日本人の多くは自立した個ではなく、依存し、他の人に合わせた生き方をしています。 日本はそういう文化の国なのです。 だから、日本では自己表現の文化は育ちませんでした。自己表現が必要のない文化なのです。いや、だったのです。 でも、地域社会、地域共同体が崩壊し、人と人が切り離され、社会が欧米化してしまった現代の日本では自己表現の能力がないと一人前の人間として生きることが出来ません。自己表現能力がない人は他人に束縛されるだけの生き方しか出来なくなってしまったのです。それは、好きとか嫌いとかではなく、そういう社会になってしまったのです。 だから、“個性”ということがもてはやされるのでしょうが、でも、その個性ということが理解できていない人がほとんどです。 日本では、人と違うことが個性だと思いこんでいる人が多いようですが、実は自己表現が個性を生みだしているのです。 ですから、欧米では自己表現が出来ない人には個性は認められないのです。 (そういう傾向があるのではないか、ということです。色々話を聞いたり、本を読んだりして私はそう思っているのですが、違うという情報をお持ちの方はお知らせ下さい。) ということで、自分の自己表現を育てたいと思うのなら、まず孤独を受けいれる覚悟が必要になると思います。 実際、あなたが自己表現を始めたら、あなたの周囲の人たちは離れていくかも知れません。 でも、大丈夫ですよ。 その後から、きちんと自立した自己表現が出来る人達があなたを受けいれてくれますから。

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