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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2007.08.03
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カテゴリ:カテゴリ未分類
毎日、子どもたちと接していて強く感じることなんですが、今の男の子達は“自分ができること”と“やりたいこと”が全くつながっていないようです。

お店で売っているようなラジコンが作りたい
乾電池を持ってきて、これでライターを作りたい
宝石が作りたい(しかも本物)
モーターで空を飛ぶ飛行が作りたい
本物のお金が作りたい
また、大人でも作るのが難しいようなものの写真を持ってきて、“これが作りたい”という子もいます。

そういう突拍子もないことを言うのは大体は9才前の男の子達なんですが、どうもどんなものでもちょちょっと組み立てるだけで出来てしまうように思っているようなのです。

それで、“どうやって作るのか分かる?”と聞くのですが、まず100%分かりません。
それで、“ここは自分で作るところだから全然作り方が分からないものは作れないんだよ”というのですが、子どもたちが“作りたい”というものが子どもには作れないようなものばかりなんです。

それで、“手伝ってあげるから”と、その子にも作れるレベルのものを提案するのですが、多くの場合、それは拒否されます。素朴な手作り的なものには興味がないようなのです。今時の大人と感覚が同じなんです。
それに、実際に自分の手と頭を使って工夫しながら作るのはめんどくさいとも言います。
“考えてごらん”と言っても、即座に“分かんない”と返ってきます。

それで“分かんないという言葉は考えてからいう言葉だよ”と言うのですが、考え方そのものが分からないようなのです。その代わり、いくつか選択肢を与えてあげると選ぶことが出来ます。そういう状態なんです。

こちらはその子のレベルに合わせて提案しているので、考えようとすれば分かる程度のことを考えさせようとしているのですが、なぜか“考える”というモードに入れないのです。
そういう子どもたちをよく見ているとどうも現実と関わりながら考えるということ自体が苦手なようなのです。

ですから、板にクギを打ってビー玉を転がすものを作っても、実際にビー玉を転がしながら面白くなるようにクギを打っていくという作業が出来ません。
ただ、トントンとひたすらクギを打っていくだけなんです。
それでちょっとビー玉を転がして終わりです。
ビー玉の転がり具合でクギを調整するなどと言うことはしないのです。

それは、凧を作っても、紙飛行機を作っても同じです。結果と対話しながら調整することが出来ないのです。

ちなみに9才を過ぎた子は自分に出来ることと出来ないことが分かってきますから、突拍子もないことは言いません。でも多くの子どもが考えなくても簡単に出来ることを繰り返すばかりで、新しいことには挑戦しません。(もちろん、そうでない子もいます。割合は少ないですけど・・・)

造形における“考える”は、算数やパズルにおける“考える”とは全く異なっています。
算数やパズルは閉じた系ですから、頭の中だけで出来る作業です。
これは、いわゆる“お勉強”と呼ばれるほとんどの分野に共通したことです。

でも、造形における“考える”ということは現実との関わり方なんです。現実との関わり方を頭の中で色々とシミュレーションしてみることが造形における“考える”ということなんです。そして、それが出来ないことには何にも作れないのです。
そのためには様々な体験が必要になります。体験したことがないことはシミュレーションできないからです。ここでは体験に裏付けされていない知識は全く使い物になりません。また、“自分に出来ること”、“出来ないこと”も分かっている必要があります。

そして、これは造形だけでなく私達の生活全てとつながっています。
お料理を作るのも、仕事の手配をするのも、遊びの計画を立てるのもみんなシミュレーション的な思考によって支えられています。いわゆる“危機管理能力”もシミュレーション能力のことです。
お勉強で学ぶ思考と、このように生活の中で使っている思考とは全く別のものなんです。

課題を与えられてそれを上手に解くことができる能力があれば、使用人にはなることができます。でも、課題を見つける能力は課題を解く能力ではなく、このシミュレーション思考の方なんです。そして、課題を見つける能力がなければ経営者にはなることができません。
そして、今の学校ではそのシミュレーション能力を育てる気が全くありません。

また、問題を解く能力がいくら高くても科学者にはなれません。科学者だけでなく、自分で課題を見つける能力がない子は学者にも、さらには芸術家にも、哲学者にも、冒険家にもなることができないのです。
そういう子は、どんなに学校の成績が良くても、ただ優秀な部品として人に使われるだけです。

ちなみに、お勉強の中でも“幾何学”は例外的にこのシミュレーション能力を使います。
ですから、シミュレーション能力が高い子は幾何が好きです。

そして、今の子どもたちを見ていると悲しいくらいにこのシミュレーション能力が弱いのです。
“ここをこうしたらどうなると思う”と聞いても“分かんない”と言うばかりです。
“考えてごらん”と聞いても“考えられない”と言います。
だから、子どもたちが科学が苦手なのは当たり前なんです。
科学はシミュレーション思考によって出来上がっているからです。

万有引力は考えて分かったことではなく、体験して分かったことです。そして、その法則は実際に様々なシミュレーション(実験)を繰り返して発見したことです。
科学の実験はシミュレーションなんです。ですから、シミュレーション能力が高い人は頭の中だけで実験ができます。

ですから、子どもたちに科学を好きにさせるために科学を使った面白いこと、楽しいことを体験させてもそれだけで子どもの科学的な能力が高くなるわけではないのです。シミュレーション能力のない子は、それらを現実とはつながっていないただのアトラクションか手品のようにしか見ることができないのです。
ですから、いくら興味を持っても、自分で考える能力がなければ科学者にはなれないのです。

そして、確実なことは現実とつながっていないゲームの世界でいくら遊んでも、現実の世界におけるシミュレーション能力は育たないということです。
シミュレーション能力は現実との多様な関わりの中でしか育たないのです。

そして、それが生きる力を支えているのです。





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Last updated  2007.08.03 19:31:02
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