『ハンニバル・ライジング』
原作を先に読んだのですが、原作には文句を言いたいことが多すぎてどれから言えばいいのか判らなくて沈黙するくらい面白くありません。想像するに、作者のトマス・ハリス(この映画の脚本も執筆)は映画と原作をリンクさせることが念頭にあって、ついつい映画化しやすい書き方をしてしまったのではないでしょうか。実に平坦な小説でした。いやその、これまでの作品に比べれば、ですけどね。が、私、どうしてこう、小説にはあれこれうるさいくせに、これが映画になると手のひら返したように寛大になるのでしょうか。この傾向は別段、トマス・ハリスだけに限らず、たいていのものに適用されます。まれに起用される役者が気に食わん!ということはありますけど。言葉の世界と映像の世界では、得意分野は異なるに決まっているので、別物として考える習性が身についているせいもあるでしょうが、・・・う~ん、なぜだろう。例えて言えば、小説はスパルタ教育でエリートコースに乗せたい長男で、映画は勉強できなくて馬鹿ばっかりするけど憎めない可愛い次男坊、かな。やっぱりよくわかりません。ようするに、映画は楽しかったのですよ(笑)。ハンニバルの容姿がアンソニー・ホプキンズと全然違うのが初めのうちは違和感大ですが、実はギャスパー・ウリエルの方が原作に近い、ということを「ハンニバル」を読み返して気づきました。原作の博士は黒髪細身の長身なんですね。いや、なにより、ギャスパー・ウリエル、可愛いんだもん(笑)後年のレクター博士を思い出せば、まだまだ至らない点の多い怪物くんですが、よく考えたらまだまだお子ちゃま時代なわけですから、しょうがないわね~、と妙に母性が働きます。また原作では今ひとつハンニバルのお食事の印象がの薄かったのですが(描写がないわけではないのに)、ギャスパー君は映画でガッツリ食べちゃってくれてますので、なぜかそのことに妙に安心してみたり(笑)よく食べてました、ほんとに。お腹減ってたのかな・・・そういえば博士って、食べる部位の選択はグルメですけど、獲物そのものは結構悪食ですよね。今回もそうですけど、前作のレイ・リオッタとか、見た目絶対まずそう・・・。なのに、一番美味しそうな人間って食べない。クラリスも、レディ・ムラサキ(コン・リーって美味しそう)も。とすると、博士の愛って食べないことなのでしょうか。だからミーシャをこの世に取り戻したいのかな・・・(原作「ハンニバル」での博士の考察テーマはミーシャの居場所をこの世に確保すること、なのですね)。それにしても、弱音を吐く正義のヒーローが映画界を席巻している中、究極の悪の権化たるレクター博士は常にポジティブ、そして無敵です。あの非現実的なまでの頭脳と教養、身体能力で、あらゆる問題を芸術的に解決していく。まったく、彼は現実の人間ではありえない、ファンタジーの住人です。だから、私たちは彼に対しては軽々と恐怖を超え、すんなり憧れを感じることができるのでしょう。怖いというならばむしろ・・・。こんな映画を観た直後に、中華料理屋で酢豚を食べてた自分が、ちょっと本気で怖かった(笑)