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カテゴリ:映画「か」行
もし、あなたが山本兼一氏の原作をすでに読んでいて、この映画を観ようかどうしようか悩んでいるのならば、映画化されたことなんか忘れて本の世界に浸っていた方がよい。 もし、あなたがすでに映画を観ていて、原作を読もうかどうしようか悩んでいるのならば、お願いだから原作を読んで欲しい。 原作者山本兼一氏の名誉のために、おこがましくも伏してお願いする次第である。
本来、私は小説の映画化には大変寛大な人間なのです。 何百ページにも及ぶ長編や、わずか数十ページの短編を2時間の映画に納めるわけですから、原作と違っていて当然です。 自分が既に原作を読んでいる場合、映画化作品に求めるのは、原作を貫いているスピリットやテーマ、ディティールを1つか2つ大切に表現してくれること。 それだけというこの寛大さ。原作と違うからといちいち上げ足をとる気はありません。 あそこを映像化して欲しかったな~という、個人的願いは当然ありますけど。
そんな寛大な私すら、映画を観終わった時にあきれてモノがいえなかったこの映画。 いちいち取り上げれば誹謗中傷にもなりかねないのでやめますが、原作を読んだ者が感銘した様々なもの全てが、これほど破壊されては正直泣けてくる。 パンフレットに書かれた原作者のコメントには、山本氏の憤慨が透けて見える。 フツウ、怒るわな。 キャスティングを知った段階でやばいとは思ったんだけどね。 西田敏行は偉大なる凡人を演じさせれば右に出るものはないが、ウン万人を指揮する棟梁なんか向いてないし。 しかしまさか映画全体を、この戦国時代最大級のプロジェクトXを、陳腐な家族愛と仲間意識に押し込めるとは。 家族愛と仲間意識が陳腐だといっているわけではない。 原作で描かれた家族の絆や、安土城建設に関わる男たちの気概は、映画に表されたモノとは比較にもならない迫力なのだ。 いったいなぜ父子の話を父娘の話に改悪したのか(監督のインタビューを読んでもその明確な答えは出てこない)、そしてあの陳腐なセリフばかりの拙い脚本はなんなのか。 原作でもっとも大切な部分がボロボロなので、いいところを思い出すのが難しい。 この映画は『火天の城』という小説にインスパイアされた、まったく別の作品だ。
こういう映画化作品を作られると、新たな映画ファン開拓が頓挫するから困る。 『火天の城』をはじめとする骨太歴史小説・時代小説読者の中核は、いかに歴女が増えたところで、やはり中高年だ。 普段、この世代はあまり映画館にはお目にかからないが、「『火天の城』の映画化なら観てみたいな~」と興味を示して映画館に足を運んだ人も少なくないだろう。 ところが映画がこの出来ばえでは、「なあんだ、やっぱり日本映画はダメだな」と、映画館にくることをやめてしまうのだ。 このところ、邦画も結構当たりを引いていただけに、私はショックを隠せない。 映画をなかなか観ない世代を巻き込んで、もっと骨のある作品が売れなきゃ日本映画は衰退する。 それがオリジナルの脚本ならなおよし(だから『おくりびと』はエライのだ)。
もしかして、今の日本は脚本家が不足してるのかしらん??
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最終更新日
October 24, 2009 10:10:49 AM
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