カテゴリ:美術
日本において、神と仏は同時に祀られる対象でした。
「仏教」が「国教」となったのは、ご存知のように、聖徳太子の時代。 それから時代が下るに従い、仏教は在来の「神」を取り込んでいき、 また「神」も仏教的バックボーンを備えるようになっていきます。 インドで成立した仏教は、インドの神々を様々な形で取り込んでおり、 仏教を介して、インドの神々と日本の神々が結び付けられもしました。 ----- この展覧会は、仏像・神像を通じて、その融合の過程と、 日本の宗教的原風景を映し出す、「鏡」のような企画でした。 ===== 【黎明期】 元来、日本の神は「形」を持ちませんでした。 崇拝される対象は、山そのものであったり、岩であったり、 鏡に仮託された「姿」だったわけです。 それが人の形を成すのは、仏像の影響を受けて後のこと。 「神」と「仏」は、お互いに影響を与えあい、 お互いの社会的影響力を取り込みながら、 この国の人々を護っていたのです。 ----- 面白かったのは、入り口に展示されている「須弥山石」。 天皇家に対して、エゾやクマソが捧げていた臣下の礼は、「神」を介するものでした。 しかし、斉明天皇の時代、この儀礼は、須弥山石を通じて、 即ち、仏教を介して行われるようになります。 この儀礼に使われた須弥山石が、これではないか、とのこと。 達磨落としのように、3段に組まれた(本来は4段だったよう)石に、 磨耗した文様を見ることが出来ます。 この石塔、かなり本来的な「ストゥーパ(仏塔)」だ、という気がします。 「神」の祭祀を司ってきた天皇家が、 仏教のアイテムを使用した、というのも面白いですし、 「仏教」の象徴となったのが、「仏像」ではなく 「須弥山石」である、というのも興味深い。 儀式の変更にあたって、いきなり「仏像」に変更するのではなく、 神道のアイテムとも共通する「山」のイメージを介した、 ということが見て取れませんか? しかも、これ、側面から水が吹き出る、 つまり、噴水構造を持っているそうで、 いやはや、なんともすごい代物です。 ===== 時代は下り、仏教の行事に、神様が勧請されるようになります。 例えば、あの「お水取り」。 東大寺二月堂で行われる、仏教行事ですが、この儀式の間、 毎日「八百万の神々」に行事の成功を祈願します。 展示されている「二月堂神名帳」には、 勧請される(つまり、儀式で呼びかけられる) 神々の名が記されているのですが、その数、なんと522柱! 良く考えれば、不思議な話ではあります。 仏教行事に、日本の神々が加護をする、というわけなのですから。 さて、「お水取り」に対して、若狭では「お水送り」が行われますが、 この行事、 「お水送りの行事に神々が呼ばれた時に、遅刻してしまった遠敷明神が、 「お詫びに毎年水を贈ります」と約束した」 ことで始まったと言われます。 ----- 仏教の行事に、神々のお力をもお借りする。 初期には、それは、仏教側が「神々」を取り込むための 「戦略」だったのかもしれません。 しかし、いつしか、その「戦略性」は後景となり、 力をあわせて、国を守り、我々を守ってくだるようになっていったのです。 ===== 【本地垂迹】 日本古来の神々は、仏教の興隆にしたがって、 仏の眷属達と、段々と融合していきます。 もともと、インドで成立した仏教は、その教義の中に、 仏教の守護者として、インドの神々を取り込んでいました。 仏教の説話の中では、釈尊自身も、多くの「化身」となって活躍します。 「こんな聖人がおりました。実は、その正体は、○○如来だったのです。」 という形式ですね。この「正体」を「本地」と言います。 ----- この本地垂迹説-「この神様って、実は○○如来の化身なんだよ」ということ- によって、神と仏は表裏一体となり、神仏習合は進んでいったのです。 こうなって来た時に、気になるのは、 「で?うちの神様の正体は?何菩薩?何如来?」 ということでしょう。 これを分かりやすく図像化したものが、ここに展示されています。 ----- その多くは「鏡」でした。 鏡に線刻された仏様のお姿。 「御正体(みしょうたい)」というそうです。 鏡は本来、神道の社に祀るものですから、 この鏡に仏のお姿を線刻する、というのは、 そのまま「神仏習合」だ、という気がします。 なんだか、お札の「透かし」みたいでもありますね。 ----- 「春日神鹿御正体」という、神鹿の彫金が、絶品。 息を呑む美しさ、としか言いようがありません。 天雲に乗り、地上に舞い降りる神鹿の背には、宝樹が繁り、その枝は、神鏡を支えます。 神鏡に線刻されているのは、春日の神の「本地」である仏様が5体。 その彫金の繊細さ、造形のバランス、いや、素晴らしい。 同じ構図の神鹿は、絵でも顕されています。 ----- 面白いのは、奈良:宝山寺所収の「春日 本迹 曼荼羅」。 春日大社に祀られる神々が、人の姿で顕されており、 それぞれが、雲に乗る仏様のお姿を、口から吹き出しています。 ちょっとコミカル。色彩も鮮やかで美しい。 ===== 多くの神々が、仏と習合していく中で、別格の「神の社」がありました。 伊勢神宮です。 しかし、東大寺復興の際、重源が弟子60人を連れて、伊勢神宮を参拝。 これをきっかけに、これまで習合していなかった系統の神社への 僧侶の参拝が増えていきます。 伊勢神宮の本地は、大日如来となりました。 元来、天照大神は、太陽神でもあったわけですから、 太陽の名を持つ、大日如来との習合は、自然な気がします。 そして、内宮は胎蔵界、外宮は金剛界を意味する、という 密教的解釈がなされるようになります。 複雑ではありますが、こうして、日本の宗教の原風景は形作られていったのです。 ===== 「初詣は神道。結婚式は教会。葬式は仏教」という習慣に、違和感がないのは、 日本の宗教的歴史から考えれば、「当たり前」なんだなぁ、と思います。 『文明の衝突』に描かれる「宗教対立」を軸にした歴史観に首を傾げ、 『人間の安全保障』などでセン博士が提唱する、 「宗教的差異の強調ではなく、宗教を越えた人間性理解のための教育」に、 素直に賛同できるのも、私自身が、この文化的背景を持っているが故なのでしょう。 ----- 江戸時代まで、神と仏は一体となって、この国を精神的に支えていました。 それを腑分けし、近代合理主義の光で照らして 八百万(やおよろず)の神々を、恐れ多くも序列化することは、 神を殺すことに他なりませんでした。 日本においては、「神は死んだ」のではなく「神は殺された」のです。 それでも、「祭り」や「行事」の中で、我々の習慣の中で、 八百万の神々は、そっと息づいています。 ふとした拍子に、そんな「神々」に出会うと、私は、ほっとします。 その源流に出会えたような、そんな気がする展覧会でした。 ===== 『神仏習合』展 ―〈かみ〉と〈ほとけ〉が織りなす信仰と美― @奈良国立博物館 (奈良) [会期]2007.04/07(土)~05/27(日) [開館]9:30-17:00(入館は16:30まで) [休館]月曜日 [料金]一般 1000円 大学/高校生 700円 ★★★★☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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