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April 28, 2007
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カテゴリ:美術
日本において、神と仏は同時に祀られる対象でした。

「仏教」が「国教」となったのは、ご存知のように、聖徳太子の時代。
それから時代が下るに従い、仏教は在来の「神」を取り込んでいき、
また「神」も仏教的バックボーンを備えるようになっていきます。

インドで成立した仏教は、インドの神々を様々な形で取り込んでおり、
仏教を介して、インドの神々と日本の神々が結び付けられもしました。

-----
この展覧会は、仏像・神像を通じて、その融合の過程と、
日本の宗教的原風景を映し出す、「鏡」のような企画でした。

=====
【黎明期】

元来、日本の神は「形」を持ちませんでした。
崇拝される対象は、山そのものであったり、岩であったり、
鏡に仮託された「姿」だったわけです。

それが人の形を成すのは、仏像の影響を受けて後のこと。

「神」と「仏」は、お互いに影響を与えあい、
お互いの社会的影響力を取り込みながら、
この国の人々を護っていたのです。

-----
面白かったのは、入り口に展示されている「須弥山石」。

天皇家に対して、エゾやクマソが捧げていた臣下の礼は、「神」を介するものでした。
しかし、斉明天皇の時代、この儀礼は、須弥山石を通じて、
即ち、仏教を介して行われるようになります。

この儀礼に使われた須弥山石が、これではないか、とのこと。

達磨落としのように、3段に組まれた(本来は4段だったよう)石に、
磨耗した文様を見ることが出来ます。

この石塔、かなり本来的な「ストゥーパ(仏塔)」だ、という気がします。

「神」の祭祀を司ってきた天皇家が、
仏教のアイテムを使用した、というのも面白いですし、
「仏教」の象徴となったのが、「仏像」ではなく
「須弥山石」である、というのも興味深い。

儀式の変更にあたって、いきなり「仏像」に変更するのではなく、
神道のアイテムとも共通する「山」のイメージを介した、
ということが見て取れませんか?

しかも、これ、側面から水が吹き出る、
つまり、噴水構造を持っているそうで、
いやはや、なんともすごい代物です。

=====
時代は下り、仏教の行事に、神様が勧請されるようになります。

例えば、あの「お水取り」。
東大寺二月堂で行われる、仏教行事ですが、この儀式の間、
毎日「八百万の神々」に行事の成功を祈願します。

展示されている「二月堂神名帳」には、
勧請される(つまり、儀式で呼びかけられる)
神々の名が記されているのですが、その数、なんと522柱!

良く考えれば、不思議な話ではあります。
仏教行事に、日本の神々が加護をする、というわけなのですから。

さて、「お水取り」に対して、若狭では「お水送り」が行われますが、
この行事、
お水送りの行事に神々が呼ばれた時に、遅刻してしまった遠敷明神が、
「お詫びに毎年水を贈ります」と約束した

ことで始まったと言われます。

-----
仏教の行事に、神々のお力をもお借りする。
初期には、それは、仏教側が「神々」を取り込むための
「戦略」だったのかもしれません。

しかし、いつしか、その「戦略性」は後景となり、
力をあわせて、国を守り、我々を守ってくだるようになっていったのです。

=====
【本地垂迹】

日本古来の神々は、仏教の興隆にしたがって、
仏の眷属達と、段々と融合していきます。

もともと、インドで成立した仏教は、その教義の中に、
仏教の守護者として、インドの神々を取り込んでいました。

仏教の説話の中では、釈尊自身も、多くの「化身」となって活躍します。
「こんな聖人がおりました。実は、その正体は、○○如来だったのです。」
という形式ですね。この「正体」を「本地」と言います。

-----
この本地垂迹説-「この神様って、実は○○如来の化身なんだよ」ということ-
によって、神と仏は表裏一体となり、神仏習合は進んでいったのです。

こうなって来た時に、気になるのは、
「で?うちの神様の正体は?何菩薩?何如来?」
ということでしょう。

これを分かりやすく図像化したものが、ここに展示されています。

-----
その多くは「鏡」でした。
鏡に線刻された仏様のお姿。
御正体(みしょうたい)」というそうです。

鏡は本来、神道の社に祀るものですから、
この鏡に仏のお姿を線刻する、というのは、
そのまま「神仏習合」だ、という気がします。

なんだか、お札の「透かし」みたいでもありますね。

-----
春日神鹿御正体」という、神鹿の彫金が、絶品。
息を呑む美しさ、としか言いようがありません。

天雲に乗り、地上に舞い降りる神鹿の背には、宝樹が繁り、その枝は、神鏡を支えます。
神鏡に線刻されているのは、春日の神の「本地」である仏様が5体。

その彫金の繊細さ、造形のバランス、いや、素晴らしい。

同じ構図の神鹿は、絵でも顕されています。

-----
面白いのは、奈良:宝山寺所収の「春日 本迹 曼荼羅」。

春日大社に祀られる神々が、人の姿で顕されており、
それぞれが、雲に乗る仏様のお姿を、口から吹き出しています。
ちょっとコミカル。色彩も鮮やかで美しい。

=====
多くの神々が、仏と習合していく中で、別格の「神の社」がありました。
伊勢神宮です。

しかし、東大寺復興の際、重源が弟子60人を連れて、伊勢神宮を参拝。

これをきっかけに、これまで習合していなかった系統の神社への
僧侶の参拝が増えていきます。

伊勢神宮の本地は、大日如来となりました。
元来、天照大神は、太陽神でもあったわけですから、
太陽の名を持つ、大日如来との習合は、自然な気がします。

そして、内宮は胎蔵界、外宮は金剛界を意味する、という
密教的解釈がなされるようになります。

複雑ではありますが、こうして、日本の宗教の原風景は形作られていったのです。

=====
「初詣は神道。結婚式は教会。葬式は仏教」という習慣に、違和感がないのは、
日本の宗教的歴史から考えれば、「当たり前」なんだなぁ、と思います。

文明の衝突』に描かれる「宗教対立」を軸にした歴史観に首を傾げ、
人間の安全保障』などでセン博士が提唱する、
「宗教的差異の強調ではなく、宗教を越えた人間性理解のための教育」に、
素直に賛同できるのも、私自身が、この文化的背景を持っているが故なのでしょう。

  


-----
江戸時代まで、神と仏は一体となって、この国を精神的に支えていました。

それを腑分けし、近代合理主義の光で照らして
八百万(やおよろず)の神々を、恐れ多くも序列化することは、
神を殺すことに他なりませんでした。

日本においては、「神は死んだ」のではなく「神は殺された」のです。

それでも、「祭り」や「行事」の中で、我々の習慣の中で、
八百万の神々は、そっと息づいています。

ふとした拍子に、そんな「神々」に出会うと、私は、ほっとします。

その源流に出会えたような、そんな気がする展覧会でした。

=====
『神仏習合』展
  ―〈かみ〉と〈ほとけ〉が織りなす信仰と美―

 @奈良国立博物館 (奈良)

[会期]2007.04/07(土)~05/27(日)
[開館]9:30-17:00(入館は16:30まで)
[休館]月曜日
[料金]一般 1000円 大学/高校生 700円

★★★★☆





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Last updated  May 8, 2007 01:15:38 PM
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mrtk@jp@ Re[1]:本と共に~「ぼくらはそれでも肉を食う」(06/19) >そらねこさん コメントありがとうござ…
そらねこ@ Re:本と共に~「ぼくらはそれでも肉を食う」(06/19) はじめまして。本の題名につられてお邪魔…
浅葱斑@ 心のハレっていいですよね? こんにちは。 誕生日の暦から今の自分、未…
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