2007/08/28(火)23:21
【金沢逍遥2】~金沢城公園~
金沢城址ではなく、金沢城公園が正式名称なのですね。
失礼しました。
「黒門前緑地」から黒門へ。
湿生園を見ながら広場を抜けて、河北門へ。
現在この一角は、復元工事中です。
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そして、五十間長屋へ。
菱櫓も含めて、これは見事に再現されています。
内部の展示も、非常に洗練されていて、各国語のパンフレットに加え、
音声解説もあり、よく出来ています。
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私の後から来ていた二人連れの女の子たちが、
繁体字の中国語のパンフレットを手にしていたので、
『台湾の方ですか?』
と中国語で声をかけたら、幾分不機嫌に
『香港です』
と中国語で返されました(中国語では「ホンコン」ではなく「シャンガン」)
一瞬キョトンとしてたら、もう一人の女の子が、日本語で
「香港です」
…失礼しました。
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さてさて、櫓から見た景色も良かったですが、感動したのは、復元を再現した木組みの展示。
この構造は、釘を一切使わず、木組みだけで造られているのですが、
溜息が出るような、立体パズルです。
どれだけの知恵と経験が、これだけのものを成り立たせているんだろうかと。
そして、それを受け継ぎ、現代に甦らせた職人さん達の匠の技にも脱帽です。
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伝統を受け継ぐためにも、こういう再建プロジェクトは重要です。
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しかし、政策上の必要があったとはいえ、明治政府がもう少し、
日本文化に理解のあるものであったら、という思いは、
国内を旅するたびに思います。
「廃仏毀釈」「神狩り」そして城郭の破壊。
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あの姫路城でさえ、一時は民間(個人)に競売され、
解体して建築用資材として売られるところだったのです。
解体費用がかかりすぎるため、断念されたのは幸いでした。(参照)
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「再現金沢城」HPより抜粋。
明治維新後の廃藩置県の結果、城内は兵部省、後の陸軍省の管轄となり、
不要な殿閣類はことごとく壊されました。
連隊本部としてしばらく利用された二の丸御殿も失火から焼失し、
この火災で、残された旧金沢城の建物の多くが焼失してしまいました。
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潰してしまったのものを復興させるには、莫大な費用とエネルギーが必要です。
これは、環境問題でも同じこと。
例えば、埋め立てられ、工業地帯と化された海を、
もう一度本来の海に戻すことは出来ません。
例えば、絶滅してしまった種を復活させ、
もとの野山に放すことは出来ません。
失ったものが、大切なものだったと気付いてからでは遅いのです。
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その意味で、私の中では、「環境問題」と「文化財保護」、「伝統文化の継承」は、同じカテゴリにあります。
そして、「平和」も。
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文化財に指定されている、三十間長屋から、本丸跡を抜けて、鶴丸倉庫、鶴の丸広場へ。
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金沢城の天守閣は慶長年間(1602年)に落雷によって炎上・焼失したのですが、
その後再建されることはなかったそうです。
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これは江戸城でも一緒で、江戸城の天守閣は、明暦の大火(1657年)で焼失した後、
再建されることはありませんでした。
プライオリタイズ(優先順位)として、機能性の低い天守閣の再建は行われなかった、ということですね。
また、保科正之が江戸復興優先の方針を打ち出した、ということも理由なのだそうです。
(wiki参照)
質実剛健な時代だったのだなぁ、と思います。
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緊縮財政をうたいつつ、とんでもなく高価な議員宿舎を建てたりしている
どこかの国の政治家先生とはえらい違いです。
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鶴の丸広場にある、パネル展示がされている休憩所でのんびりした後、石川門へ。
ここの石組みが、左右で違うのは…写真では分からない、かな?
この門を抜ければ、いよいよ兼六園です。