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単身赴任生活チャレンジ日記

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Jan 4, 2006
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カテゴリ:野球話
 昭和56年は高校を卒業し、地元愛知を離れ、一人で暮らし始めた年でした。

 この年が近藤貞雄氏のドラゴンズ監督1年目にあたります。近藤さんの野球というと、野武士野球と形容された強力打線で早い回にリードを奪い、中盤ハラハラさせられる場面もあるんですが、最後はストッパーで勝ちを拾う、ファンとしては魅力的な野球でした。

 私は高校時代までは、ラジオ中心のドラゴンズ観戦ではありましたが、地元のみテレビ放映されるホームゲームの中継、親会社の中日新聞・中日スポーツの報道、絶対的多数を占めるドラゴンズファンに囲まれた生活をしていました。
 ところが、関西で過ごした大学時代は、テレビはジャイアンツ戦、甲子園のタイガース戦しか放映されず、新聞記事も少なく、ましてやドラゴンズファンもマイノリティの状況で、ドラゴンズ情報はラジオ中継に限られました。

 それでもこの頃は、欠かさずラジオを聴きながらドラゴンズを応援してましたね。ある意味、ドラゴンズが自分と故郷を繋ぐ線のように感じていましたから。

 主な媒体がラジオであったこと、媒体から伝わるのが近藤野球であったこと、この両者がうまくマッチしていたんだと思います。近藤野球は私には非常に魅力的に感じられました。

 その後、毎年珍プレー好プレーで登場する宇野選手がおでこにフライを当てた事件は近藤監督1年目のことですし、2年目のペナントレースで終盤に見せた大逆転劇の連続、特に全盛期の江川投手を攻略した9月28日の勝利は、恐らく今後もドラゴンズファンには語り継がれることでしょう。そして、その年のリーグ優勝。地元を離れて味わえたドラゴンズの優勝です。実に誇らしく感じられました。

 時代も移り、今はネット観戦が主体のため、近藤さんをお見かけする機会はナゴヤドームでのジャイアンツ戦のテレビ解説をされていた時とか、マスターズリーグの監督をされていることを伝えるスポーツニュースとかに限られていましたが、昨今、マスターズリーグの監督も退かれていたので、気になってはおりました。

 そして、近藤さんの訃報に接したのが、1月2日の午前中、実家の食卓で見ていたテレビを通じてでした。訃報を地元で聞いたのも何かの因縁なのかもと思っています。

 近藤さん、楽しい野球をありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りします。






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Last updated  Jan 4, 2006 11:27:38 PM
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