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2004年09月10日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
さて、そろそろ本題に戻りましょう。

始めに書いたように、神が「体験」をするために、自我という制限や物理法則といったルールを設け、地球人生ゲームを考案したのだという仮説をおいたとしましょう。

そのために必要となる前提が価値観、そこから生じる固定観念です。

価値観とは、人が事象を裁く因となるものであり、モノサシであり、比較の源泉でもあります。もともと一つであったものを二つに分けるのに役立つものです。。

善と悪、正と邪、プラスとマイナス、偉大と卑劣、上と下。。。

これらのいずれも、ある価値観をもって二つのうちの一方に振り分けられた結果です。

自分の話をすると、私はよく通勤電車で人にぶつかられて腹を立てていました。なんでこんなささいなことでこれほど怒りが湧くのだろうと、自分でも不思議なほどでした。

そして、それは肉体的な痛みというよりも心の痛みでした。自分のなかに「人にぶつかるのはよくないこと、敷衍すると、人に迷惑をかけてはいけない。」という価値観があり、相手の行動を悪であると裁き、そのことによって自分が被害者となり、傷つくのです。

「人に迷惑をかけてはいけない」

今周りの人10人に尋ねたら、その内9人はそんなの当たり前と答えるのではないでしょうか。では、これはどうでしょう。

「働かないと生きていけない、働かざるもの食うべからず」
「今楽しんでばかりいると、必ず後で泣きを見る」
「ラクしてお金なんか儲かるはずがない」
「楽しいことばかりをして生きていけない」
「目的を遂げるには、それに見合った我慢や努力が必要」
「何かしないと自分には価値がない」

これらの固定観念はすべて「真面目に励むのはよいこと」という価値観から派生したものと考えられますが、この価値観を否定し去ってしまうのはかなり困難だと思うのです。いかがでしょうか。





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最終更新日  2004年09月10日 22時03分00秒
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