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かりん御殿

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February 2, 2004
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カテゴリ:旧(時事/社会/家庭)
前回に続き、重い日記になりそうだ。
「重い・軽い」と呼ぶのは適切ではないと思うのだが
どう表現していいかわからない。
どう書けばいいのかわからないけれど
自省の心を持ちながら書かずにはいられない事、
そんな内容の日記だ。
こういう日記を書くと更新ができなくなって全く日記にならない。
でも、やっぱり書かずにはいられない。

虐待。

虐待事件は増えているのだろうか。
それとも、以前は闇にほうむられていた事件も明るみに出る様になったのだろうか。
考え付く事は、明るみにならない闇に葬られた「虐待」は
莫大な数にのぼっているだろう、という事。
数の多さが問題なのでは無く、ひとつひとつの虐待が
深刻な一時を急ぐ死活問題だという事。
そして現在、この一分一秒も起きているだろうという事。


人が虐待に至る時、色々な要因が絡んでいると思う。
人は虐待をする生き物として生まれて来ているとは思えない。

人は真っ白の状態で生まれて来る。
そして生まれた直後から、様々な色にさらされ
その色にそまったり、そまらなかったりする。

虐待事件が明るみになった時
虐待者本人はもちろん、
その家族(時には子供まで)にも
「世間の怒り」がぶつけられる。

でも、怒りをぶつける世間は、一体、何様なんだろう?

殆どの人に残虐性は備わっている。
残虐性を全く持たない人が存在するかどうか私にはわからないが
とりあえず断定はしたくない。
だが、少なくとも、私自身や、私の子供達にまで残虐性はある。
ただ、同時に存在する「優しさ」や「正義感」や「同情」や...
様々な「人らしい感情」が
同じく「人の感情」である残虐性を遥かにしのぐ事によって
残虐性が行動に移されるのを防げるのだ。
もちろん環境も影響する。
ストレスの多い環境では残虐な行為が起きやすくなるだろう。


家庭内暴力は
暴力を与える者が受ける者より
力量的・立場的に優位な存在であり
密室で行われるところが
暴力の中でも最も卑劣だ。

そして子供に対する虐待は
家庭内暴力の中でも最も卑劣なのだ。

でも、その卑劣さを糾弾できるほど
世間は、私達一個人は、卑劣からは程遠い存在なのか?


私は、自分の卑劣さを知っている。
だから、自分の限界・精神的弱さも知っている。
だから、今まで何とか人の道からはずれずに生きてくる事ができた。
でも、これからも自分の信じる「人の道」に忠実に生きる事ができるか
それは断言できない。
このまま無事、まっとうしたい、と強く思い努力しているが
断言できるだけの力が自分にあるかどうか100%自信が無い。
自分の弱さを知っているからだ。

人は、時として、感動的な強さを発揮する。
でも、同時に、悲しいほど弱いのだ。


だから、人を
「こうあるべきもの」と
強い存在として期待してしまうのは危険だと思っている。

人の弱さを「特異」とし
人の強さを「当然」と考えるのは危険だ。

人は弱い者という認識から発展し
その弱さを補う様な柔軟だが強い制度を作る社会の方が
人に強さに期待し弱い制度を作る社会より安全だ。


虐待について言えば
虐待は当然起こるもの
虐待をする親が特異な存在なのではなく
親であれば虐待に至るか
虐待の一歩手前で踏みとどまるか
という状況を経験する事が十分に有り得るものなのだ
と全ての大人と子供が認識する事、その方が、
行き場の無い怒りに「はけ口」を見つけるよりも
ずっと難しいが、ずっと建設的だ。

ひとりでも多くの人が
虐待の危険信号を知って
虐待されている子供を救う事
(それは同時に親を救う事にもつながる)
ひとりでも多くの子が
虐待について知り
虐待の現場から逃げ出す力を持つ事
そして何よりも重要なのは
その子達が逃げ出せる場所がある事
危険を察知した人が危険を報告し任せられる機関がある事
虐待を体験した子供が大人になっても
引き続き受けられるサポート制度がある事
虐待に対する認識を交通事故の様な
常識レベルにまで高める事
怒りのはけ口を探す前にしなければいけない事はたくさんあるのだ。


虐待を生き抜いた人を私は尊敬している。
だから、虐待された人が将来虐待をする可能性・傾向が
云々という「確率」を読む度、心が重くなる。
一個人の様々な歴史や背景を
確率や数字で語ってほしくない。

虐待を受けた人が「~%の割合で」虐待を繰り返すんじゃない。

虐待を受ける様な環境で育たざるを得なかった人が
その虐待が起きやすいストレスの高い環境から逃れざるを得ない
そんな環境の悪連鎖を払拭できない社会が
虐待の連鎖を生むのだ。

虐待の過去を持たない者は
虐待の過去を克服した人の力を評価し
同時に、無邪気な無知から
虐待の過去を再び凶器として使う事が無い様に
認識を高めるため努力しなければいけないと思う。

虐待を経験しなかった者が
どこまで虐待を理解できるのかわからない。
でも、虐待を生き抜いた人達がたどって来た道程一つ一つを尊重し
虐待体験者の声を真摯に聞く事はできる。

そして、
社会全般と社会に生きる個人個人が
虐待を特別視せず
交通事故防止と同然の常識と行動を以って
危険な状態にある子供達を救える様な制度を作り
救える様な「常識」を作り上げる為にも
虐待体験者の声は不可欠なのだ。


他人の弱さを糾弾するのではなく
他人の弱さに直面する事によって
自分の弱さを見つめる。
それが、社会の脆さに冷静に対処し
社会と社会に生きる子供と大人を救う為に
欠かせない第一歩だと思う。





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Last updated  August 16, 2004 06:36:42 PM
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