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2007年02月05日
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カテゴリ:未分類
私は今ヒザを治療しているが、そもそも高校時代の手術の後遺症。
剣道バカみたいな生活をしていた私は、もともとヒザが悪いのにごまかしごまかしハードなトレーニングを続けてた。
あるとき上半身は出るのに、足がついていかなくなった・・・そして気持ちもついていかなくなった・・・。
本当に歩けないくらいの激痛があり、両膝を5回にわたって手術をすることになった。

休み毎に入院して手術していた私、病棟ではなじみの子だった。
私の一番最初の一番大きい手術に入っていた、当時のインターン。
なんだか優しいばかりで腕も悪く、情けなーい感じが前面に押し出されている外科インターン。
私は高校生で午前中のリハビリを終えるとヒマで、その情けないインターンとムダ話をして過ごすことが多かった。
それでも、相手は大人。私は高校生。
注射もまともにできないくせに、当時の人気車種の真っ赤なフェアレディーに乗って、何か勘違いしているに違いないそいつとは違う世界を生きていた。

高校を卒業して短大時代。
ばったり通学途中の地下鉄の中で再会した。
私は相変わらず弱弱しい風情にがっかりした。そのくせ医者であることをハナにかけ、大学病院に戻って、それこそ「白い巨塔」のような世界を生きてるその人に軽蔑の思いすら感じた。
そのときお昼ご飯をご馳走になり、そのまま、また別の世界を生きていた。

私が短大を卒業し、梅田の旅行会社に勤務していたとき。
またまた勤務途中の地下鉄でその人にばったり会った。
上司が教授選で破れ、大学を去らざるを得なくなり、救急救命センターに勤務していると。
上司の勧めで結婚し弱弱しい風情にでっぷりと太っていた。
それでも以前の医者をハナにかけているような様子はなくなり、とにかくハードに日々に精神的に消耗しているように見えた。

少し人間らしさを感じた私は、その日すし屋につきあった。
寿司をご馳走になりながら、友人がシャンソンコンサートをするからと誘ってくれたので、後日の約束をして別れた。

シャンソンコンサートに行き、時々食事をしたり飲みにいったりした。
私には今の主人というカレシがいたし、その人はもう結婚していたし、私にとっては昔なじみの友人以上の何者でもなかった。

しかし、筆で書かれた手書きの恋文が会社に届いた。
会社の名刺を渡したので会社に届いた。

もてない私はラブレターなど、もらったことがなかったのでとてもショックを受けた。
筆書きの熱烈なラブレター。

「私は結婚しているし、どうしようもないやつだけれど、あなたと時々お会いしたい。長年あなたを知っているけれど、会うたびに成長しているあなたが好きだ。」といった内容だった。

それから時々ドライブにでかけたり食事をしたりしたけれど、救命センターに勤務していたし家族もあり、深い関係になることもなく数年友人関係が続いた。

ある夜、すし屋でその人に言った。
「結婚するねん。東京に行くわ。」って。
その人はとってもビックリしていたし、なんだか不安そうだった。
でも「そうか。元気でな。いい奥さんするんやで。」と言って別れた。
後日会社に「はじめての赤ちゃん」みたいな本が届いた。

結局なにもなくタダの友達として過ごし結婚とともに会わなくなった。
15歳から23歳までの青春時代のこと。

あのラブレターは捨ててしまったのかな?
結婚する前日、庭で落ち葉を焼く父に夫以外の男性からもらった手紙やプレゼントを全て私「中を見たらあかんで~」と言い、焼いてもらった。
父はだまって煙を見つめていた。

きっとその中にあったんだろうな。
持っておけばよかった。
自己評価が下がって悲しいときに、その手紙があれば助けられそうな気がする。
今ごろどこで何してるのかな?きっと今ごろは50歳を過ぎたハゲオヤジになってるやろな。
シマダ先生、私のこと覚えてる?思い出すときがある?

若い日の話でした・・・。







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最終更新日  2007年02月05日 19時57分57秒
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