カテゴリ:雑感
四十九日の法要を昨日終えて祭壇が取り片付けられ、父はお仏壇の中にはいった。
おかんも私も今日はかなり遅い時間まで寝ていた。起きられなかった。 おかんのほうはやはり気抜けしたのだろう、これまで来客も多くて張り詰めていたものが一気に緩み切ってしまったのだと思う。 私は長引いている風邪の影響。 まず何よりも起き抜けはぜんぜん声が出ないありさまで、少しずつでも声を出して人としゃべっているうちになんとかいつもの8割くらいの調子になるという感じ。 5月の中旬くらいまでは、日本ももう暑いらしいとあちこちで聞いていたので覚悟をしてきたのだが、あにはからんや涼しい・・・今日から6月で暦の上は衣替えなのに、である。 思えば3月に2回帰り、4月に1回帰り、そして今回と、とにかく帰ってくる前は「さすが日本で、かなり気温も高くなっている」と聞いていたにもかかわらず、帰るたびに異様に気温が低くて調子が狂ってしまう。 弟は今日の午前中に実家を離れていった。 弟は一昨日の夜中に四国を車で出発し、昨日の朝の法要前に実家に着いたので、実家での滞在は24時間程度。 相変わらず変わったヤツである。 どこが、と言い出せばキリがないし、まあ最近の弟にもいろいろとあるので一概にここに書ける話でもないので省略。 ただ一つ言えることは、私の考えるところのものの常識というものと彼のそれとは、非常に大きく違うということ。 ここでついに、久しぶりに私と弟とにおかんが落とした爆笑爆弾。 (いや、今ここで書いても別におもしろくもなんともないかもしれないが、私たちはもう呼吸困難を起こしそうになった) 弟が言うには、最近、携帯電話を新しく買ったそうなのだが、その携帯電話には顔を認証して使用制限を加える機能が搭載されているらしい。 弟「そやけどな、これがかえって厄介でな、ワシの顔を認識しよらへんねん。わははは・・・」 私(つられて)「わははは・・・」 と2人で笑っていた。 当然、私と弟のツボはそんな認証機能、役立たずだったはずで、わざわざ言及せずとも私と弟とはまず間違いなく同じ意味合いで笑っていた(と思われる) その一瞬、その話に積極的に参加しているとは知らなかったおかんの背後からのひとこと。 「なんで?人相が悪いからか?」 私と弟は0.2秒くらい固まる。 すばやくおかんの顔を見たら完璧な真顔だった。 どう考えてもウケ狙いとは思えないおかんのリターンエースに私と弟は大爆笑。 2人とも身を二つ折りにしてひーはーと、出ない声を振り絞って笑い、私は咳き込み弟は涙を流して「おかん、なんでそういう発想がすぐ出てくるねん?」と弱々しく反撃。 うちのおかんのリアクションは本当に怖い。 自分の言葉の及ぼす影響をほとんど考えていない人の発言は極限知らずだ。 夕刻になってから、そのおかんと一緒に百貨店に出かけた。 おかんはおかんの用があり、私は私で百貨店以外の場所に用があったのだが、帰りは待ち合わせして帰ろうということになり、おかんに(使わないから)ちっとも覚えない携帯電話(→父の危篤の時に弟が買ってやった)の使い方をおさらいさせつつ、四条河原町の交差点で「ええか?用事が終わってココまで来たら私に電話するんやで」と言っておき、私は自分の用事を済ませてから元カレのやっている珈琲店に足を運んで、しばらくマスターと話していた。 20分ほどしたらおかんから着信あり。 「今な、○×(そこの珈琲店)にいるけど、来る?」と言うと「行くわ」と言う。 おっ、今日はやる気やなと思ったが「道、わからへん」とのたまうおかん。 ・・・アンタ、京都市民になって何年経つねん。 荷物を置いたまま、おかんを迎えに行った。 実はうちのおかんは先日から「一度、○×のマスターと話がしたい」と時々言っていた。 私の元上司でもあったそのマスターは、私が社会に出たての頃のまっとうな人間の指針でもあったし、おかんもそのことをよく知っていた。 おかんはとにかく、父の入院時以来ずっと、いろんな話を誰かに聞いてほしがっていた。 それも特に父の死後。 しかし、話す内容と、話す相手と自分の距離感をいろいろ模索していると、結構その相手探しも難しかったのだと思う。 私(特に私、だ)やクマイチや弟という近い身内にあれやこれやと話すこともあったが、おかんの話に賛同しようと若干否定(とか軌道修正)しようと、とにかく近過ぎる間柄では逆に消化し切れないものをおかんはいろいろ貯めていたようだ。 かといって、親戚や知人だと今度はちょっと身構え過ぎて、そう率直には話せないというアラートもあったようだ。 そういう中で、そこの○×のマスターは、うち一家のことを結構よく知っていて、世間の常識もその年齢なりに弁えていて、しかし、だからといって今、別にこちらが客であるという以上の深い付き合いはないし・・・おかんにとっては、利害関係もないが何か「この人だったら聞いてくれるだろうか」という気持ちがこの間から無性にあった。 道の途中までおかんを迎えに行き、○×まで一緒に連れて来る。 マスターとおかんは久しぶりの挨拶をしていた。 最後に会って5年かそこらはご無沙汰のようだったが私もはっきりとは知らない。 おかんは一人で出かけないし、ここに最後に来たのがいつであったとしても、たぶん父と一緒だったのだと思う。 私のほうはもうあまりしゃべらないようにしていると、おかんがマスターにぽつぽつと父のことを話し出す。 マスターのほうもお父さんが亡くなって去年13回忌を勤めたそうで、今はかなり高齢になられたお母さんが、マスターのお姉さんと2人暮らし。 そういう背景にもなんとなくおかんは共通点を自分なりに感じていたのかもしれないのだろう。 マスター自身、商売柄もあってこういう年代の人の繰り言に慣れているので、2人で会話が成り立っていた。(しばらく他のお客も切れていたし、2人で放っておいても大丈夫そうだったので途中で私はその間にひとっ走り買い物に出かけた) 結局、おかんを連れてきてから1時間半くらいはいただろうか。 おかんが「長いこと勝手なことばっかりしゃべってすんまへんどした・・・私らが長居してへんかったらちょっとは気も体も休まったかもしれんのに・・・」と言うとマスターは「またいつでもしゃべりに来て下さい」と。 マスターはお店の外まで私たちを送り出してくれて再度おかんに言った。 「あのー、ここの道だけちゃんと覚えといてもろて(笑)忘れんうちに来て下さいよ」 おかんに「前からマスターと話したいて言うてたけど、今日くらいにしといてよかったやろ。もっと前やったら、話しながら泣いたりしてたんちゃうか」と言ってみた。 「そやなぁ、やっぱり今日くらいでよかったんかなぁ」とぼそっと答えるおかん。 おかんにも、そういう世代も職業も来し方も違う友達があっていいと思う。 おかんも、一日一日、自分の残った人生を自分流に生きていくべきなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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