カテゴリ:友人・知人
さっき悠々さんちにいったら日記のお題が「10年」だった。
やられた。 そんなことを何か書こうかと思っていた。 なのでこっちは「10年目」でいくのだ。 この間から帰国する、帰国する、と念仏のように言っているが、本当に帰国するつもりだ。 但し、ここにもちょっと書きづらいような話で、なかなかこの作業が捗らないところもあり(多分にメンタルな部分があるわけで)Xデーを明らかにすることは避けたいし、日記上では、ある日突然「日本でーす」ということになるだろうと思っている。 それで私が思ったタイトルの10年目の件。 まる10年の在英に満つ前に帰国することになるわけだが、この足掛け10年で変わったことの中でこのところ気づいてきたのは、やはり日本の女性のライフスタイルだ。 ライフスタイル、なんてかっこいい言葉を遣うまでもなく、なんだか結婚・出産の年齢がこの10年で急激に上がってきたなと思うし、独身女性が増えたなと思う。 もちろん離婚も増えただろう。 私がこっちに来たのは満34歳と9ヶ月。 ちょっとした短期的な「オツキアイ」がないわけではなかったが、一生のコミットメントとして結婚するようなことはもうないだろうなと思っていたら35歳を過ぎて結婚。 自分なりには、ほぼ希望も期待も消えていた時期だったので、自分であれくらいびっくりした出来事も人生になかったと思う。 時々、前の職場の後輩などからも「いまだに彼氏もできなくて・・・」というようなメールをもらうことがあったが「私なんて35歳で結婚したんだし、まだまだ人生はわからないよ~」「人間、必ずしも結婚しないといけないわけじゃないし、独身でも自分にとっていい人生を送れる努力や研鑽はするべき」等答えたりしていたが、とにかく自分ではホント、晩婚だとずっと思っていた。 そしたら、どうだ。 特にこの1~2年の日本の社会情勢をざっと見回していると、気がついたら初婚が35歳くらいの人たちなんか、もはや珍しくもなんともなくなってしまっていることに気がついた。 第一子の出産だって30過ぎてからの人たち、35過ぎてからの人たち、40前後で子供をどうしようかなと考えている人たち、そういう女性たちがあちらにもこちらにも出てきているではないか。 満32歳で私を産んだおかんは「やっぱり(世間の基準からからすると自分の出産は)10年遅かったわ~」とよくこぼしていた。 つまり子育ての体力的に自分は10年遅れを取った、とか、子供にとっても老けた母親は可哀相、とか思っていたようなのだが、今、30代の前半なんかで子供を持つ女性はもうごろごろいるはずだ。 かつて、高齢出産を「マルコー」などと称していたようだったが今やそんな言葉はもはや死語になってしまったか、40代後半くらいまで引き上げられてしまったのではないかとさえ思う。 先日、親友のあけみがとうとう離婚した。 ここの日記にも何度か書いたことがあったのだが、あけみは中学時代からの同級生で、昔はもっと明るいというか私と同じようなタイプだと思っていたら、彼女は結婚した後でなぜかどんどん内省的になっていった。 「この子ってこんな子だったっけ?」と思っていたが、もともと気持ちが優しい上に気働きのある子だったので、ヘンな旦那に苦労させられなければいいがと思っていたら、亭主の浮気と借金問題。 バカヤロ~~~(浮気が聞いて呆れる顔だと本当は声を大にして言いたいが) 前にも書いたが、あけみが婚約した時に初めて会った相手の印象は悪く、私は家でおかんに「世の中にあんな男しかいーひんのやったら私は修道院にはいるわ」と言い放ったほどだ。 人間としてイヤなやつだとピンと来たし、彼女があんな男のどこがよくて結婚したのかわからなかった。 それでも2人ならうまくいっていたのか、最初から不協和音っぽかったのか、あけみからはなかなか読み取れなかった。 しかし最後に問題が勃発して1年以上経ち、先日離婚したという手紙があけみから舞い込んだ。 数年前には何度か彼女にも会って話を聞いたり手紙をやり取りしていたが、私にすれば彼女の煮え切らない態度にちょっとイーしてしまったので「どっちやねん」的な言い方のキツいメの手紙を彼女に書いて、それきりになってしまっていた。 その後も、私の手紙の内容は間違っていたとは思わなかったが、彼女自身がどうしているかはいつも気になっていた。 彼女たちにも子供はなく、私としてはとにかく早く彼女に立ち直ってほしかった。 一般的な社会生活の中で良識ある行動が普通に取れる善人だった彼女が、そんなつまらない亭主のために、人に見えないところで苦しんでいるのがイヤだったし、彼女の苦しみの1分1秒が(たとえ人の時間であっても)もったいない、それなら早くリセットしてくれとずっと思っていた。 もちろん、周りから「早く別れろ」なんて簡単に言われても・・・と言われればその通りだ。 当人にすれば、考え込んだり逡巡したり、押したり引いたり、とにかくその当人なりのルートと所要時間で結論に辿り着かなければ、所詮、他人の意見は他人の意見なのだ。 だから彼女も最後はつらかったと思う。 その上、彼女が大変だったのは、彼女の両親がかなり見栄を張る人たちだったことにもあると思う。 もちろん彼女にはそんなこと、ひとことも言ったことはないし、おっちゃんもおばちゃんもいい人ではあるが、私はこういう人たちが自分の親でなくてよかったとは昔から思っていた。 彼女は結婚はわりと早かったが子供には恵まれず、彼女自身も自然の摂理に任せる派だったのに、おばちゃんは「アンタに子供ができひんから私も肩身が狭い」とか言っていたようだったし、事実あけみはおばちゃんに気圧され、なんちゃって不妊治療も一時期イヤイヤやっていた。 (ちなみに私は27歳の時、おばちゃんに紹介された占い師のところに言ったら「今年か来年には結婚しますね」と言われた。大ウソツキ) その後、すごく遅くに結婚した同級生(私とあけみの共通の同級生)にぽこっと子供ができたのを知ったおばちゃんは「先を越された」と。 普通はそんなこと、我が子にでも言わんやろ~と私は思っていたが、あけみの親は何かにつけてあけみが人に水を開けられるのがイヤなようだった。 とは言え、あけみの親を彼女に対して非難するわけにはいかず、私は家に帰り、またおかんをつかまえて「あんな親はちょっとイヤやで」と愚痴った。(笑) あけみが離婚してしまった今、おばちゃんはきっちり意気消沈してしまっているようだ。 もしもおばちゃんに会ったら、マジで「あけみにはまだまだいい人が出てくるよ」と言ってあげたい。 そういうわけで、あけみは20年にちょっと満たない結婚生活に終止符を打った。 私自身は別に離婚に対して「離婚は勲章!」などと大上段に構えることは言わないし、かといって恥ずかしいことだなどとはまったく思わないし、普通に人生であり得るところの軌道修正なのだと思っている。 但し、当人同士にしてみればエネルギーがかなり必要だろうなとは思うが、そのエネルギーがムダにならないように、その後はちょっと穏やかに幸せに(それがどういう形でも)なってくれればなと願わずにいられない。 まあ、こうして考えると生涯独身というのも、生きていく上での一つの立派で安定した貴重な形だなとも思う。 私もクマイチに会わなかったら独身だったと思い込んでいる。 物事はやはり表裏一体であるから、結婚すれば、ずかずか相手に領域に踏み込まれることもあれば、いったん腹が立つと相手の箸の上げ下ろしまで腹が立つという場合もある。 時期的にめちゃくちゃ仲良しの蜜月期もあれば一つ屋根の下でもほとんど口を聞かないような(一人でいるより孤独が浮き上がって寒い)凍結期もあるだろう。 そこからすると独身でいることは、別にそんなに悪いものでも寒いものでもないように私はまだ思っている。(クマイチもわざわざ結婚しようという意識はそうなかったらしく、44歳で初婚だった・・・) 独身ほど、自分の設計図が書きやすい状態もないし、そのことに肩身が狭いとか(形として)結婚しないと格好がつかないとか考えている人がいるとしたら、まずそれを払拭しようよと思ってしまう。 まず自分が今ある状態を愛するところからしか何も始まらないような気がしてしかたがない。 いろんな話が混ざってよくわからなくなってしまったが、とにかくこの10年間で、間違いなく女性の結婚・出産に対する意識は多様化してきたというところから始まった日記なのでありました。 特に閉めてもいませんが、終わり。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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