面接と採用(1)
人を面接し、採用するかどうかを考えるのは本当に難しい。会社を辞める人が出て、次の人を採用することになると、めでたく次の誰かが決まるまで、時間的にも精神的にもとても負担になる。ロンドンに来た時までは、自分が面接され、採用される側の一人だったが、転職を機に反対の立場に立つことになった。一回募集をかければ、結構いろんな人が履歴書を送ってくる。日本の就職・転職状況もかなり変わってしまったかも知れないが、ロンドンで職探しをする人の中では、一箇所に5年とか10年とか勤めた後で仕事を変わる人は少ない。長い人でも3年くらい勤めたら職探しをする人が多い。その一つの理由は、会社に対するロイヤリティの質の違いだろう。日本での退職金制度というのはある意味で非常に特殊だ。「ウチの会社に長く勤めてくれてありがとう」「ご苦労さん」という意味で退職金を出すという企業はこれまでイギリスでは聞いたことがない。もちろん、全部の会社を調べたことはないので、イギリスのどこかには退職金ならぬ功労金みたいなのを出す会社があるかも知れない。しかし、勤続何十年ということだけがことさらに評価される風潮はまずない。だから、一つの会社にご奉公し続けて、来たるべき退職金支給日を待つということがない。また、イギリスの会社での定期昇給というのは、役職がついたとかいう以外には2%~5%という範囲で評価されて決まる。ということは、格段に年収のアップを考える人は、今より年収の高い会社への転職を狙っていくしかないのだ。すると、転職を考えるサイクルというのは平均すると3年程度になってしまう。送られてくる履歴書を見ていると「なんでこういうぜんぜん別の畑の人がうちに応募してくるん?」というものも多い。純然たるサービス業なのに、ずっとアート系一色だったり、ITづけの毎日を送ってきたような人も応募してくる。そういう部分には最近のイギリスの景気のかげりも見える。字を見て疲れてしまうくらいの履歴書を一通り見た後で、なんとなくうちの仕事の関連業界にいたことのあるような人を面接の候補に選ぶ。実際に面接のセットアップを行うと、またとんでもないことが起きる。あらかじめ指定した当日の、それも予定時間の15分くらい前に「電車のルートがわからなくなってしまったので、もう行けません。面接はやめます。」と電話が来ることもある。こういう時は、一瞬は脱力感が襲うものの、早いうちにわかってよかったと思う。「地球はオレ・ワタシ中心に回ってる」と思っているお客たち相手に毎日を送る生活を強いられるうちの会社に、面接に自力で時間通り来られない人に会っても先が見えている。早いうちにわかったほうがお互いのためというものだ。面接に来てくれた人と会って話をすること自体は苦痛ではない。自分の知らない世界を持って来てくれる人と話をすることに、ある程度までは興味が持てる。しかし、これも限度もので、宇宙人と話しているような気分にさせられる場合は、どういう反応をしていいか非常に困る。面接の内容や時間はその会社によっても違うが、いちばん困るのは「面接やプレゼンテーションだけがずば抜けてうまい」人だ。今、目の前にいる人がそのタイプの人でないかどうかを見抜くのは本当に大変だ。実際、そのタイプの人間に一度ころっとだまされて(私だけがだまされたんじゃないけど)えらいめにあった。イギリスはやっぱり他民族国家なので、本当に仕事でぜんぜん使えない人であることが明白でも、人種差別とかいじめとか逆反撃に遭って会社が訴えられる場合があるので、簡単に辞めさせられないのだ。だから、現場のものが「あー、あいつはあかんで~」ということがはっきりわかっているのに、会社の人事からは「もっと適切なトレーニングをしろ」とか「やったトレーニングに伴う向上の成果と分析を提出しろ」とか、ことごとく突っ込まれる。そんなことやったって、徒労だということがわかっていながらやらされる。そのうちに、その新人のやらかす失敗の尻拭いが他のスタッフの負担になってくる。単なる新人の失敗ならどこにでもある。仕事の失敗というのは「仕事があるから」出てくるのであり、仕事をしない人に失敗はない。新人の育成の途中で出てくるミスはいちいち気にしない。しかし、最初の一週間で「コイツをとったのが失敗だった!」というような全面的敗北の場合は別だ。面接に係わったこっちはものすごく責任を感じる。それ以外のスタッフが文句も言わずカバーしてくれているうちはいいが、だんだんみんなが疲れ切ってきて、元気なのはその新人一人になってしまったら大変だ。いや、書き出すと一日では終わらないので、まあ今日はこんなところまで。それにしても、職場で「この人だ!」っていうように、仕事にも他のスタッフにもばしっとハマる人を探すのはどこでも大変だと思う。