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カテゴリ:テレビ・映画関連
先日やまちゃん(仮名)に「休みの日は何をしているんですか?」と問われ、
非常にアクティブな休日(クライミングとか山スキーとか)を送っていると答えたのであったが、撤回せねばならぬ。 怠惰な休日であった。とにかく眠った。目が覚めているときは手元にある本をちょっと読む。そしてまた眠る。またちょっと読む。眠る。完全に目が覚めたらとりあえず映画。 そんな全くアクティブじゃない休日なのであった。 こういうときは一編が短く、軽い読み物に限る。ちょうど図書館から借りているのがそれに最適であったので、結局2冊読了。 ・ノンフィクションを書く! (インタビュア:藤吉雅春)ビレッジセンター出版局 中村智志、野村進、金子達仁、井田真木子、小林紀晴、加賀孝英、江口まゆみ、永沢光雄、吉田司、高山文彦。10人のノンフィクション・ライターにインタビューしたもの。 本が出たら読む人、野村進は大学生の時の体験からして凄い。単身フィリピンに渡り共産党ゲリラと5ヶ月も行動を共にする。徹底的に自分の体験したもので世界観を築くという一貫性、常に時代の波頭に立ってその時代をみていたいという思いがあるからこそ、野村の書くものは面白いのだと再認識する。 未読だがインタビューを読んで俄然興味を持ったのは、「トップ屋」加賀孝英。 ・この世には二種類の人間がいる(中野翠 著) 中野翠は私が20代の頃から既にコラムニストとしての確固たる地位を築いていた人だ。しかし敬遠していた。それは彼女がアンチフェミニストを標榜していたからだ。映画評をほんの少し読んだくらいで、ここ20年ばかりは手にする事もなかった。 しかし私も年を重ね幾分角が取れてきたせいか素直に楽しめた。本書で世の中の人を大雑把に2分するのだが、ことごとく中野と同じ感覚であることに苦笑いをする。同属嫌悪であったのか。私も国会議員のFの言語感覚が嫌いよ。ピンクや黄色のスーツを着るセンスもわからないし。 たまたまやっていた「ゆれる」を鑑賞。オダギリジョーと香川照之主演の心理ドラマ。 公式サイト 心理ドラマゆえ、台詞を聞き逃したくないというのに、聞こえないのだよ。 オダジョーの台詞は聞こえた。伊武雅刀の台詞が全然聞こえない。 普段テレビの音量は「10」にしている。これでニュースもバラエティも洋画も問題なく聞こえるというのに、この作品鑑賞に際し私は音量を「20」にした。それでも伊武雅刀の台詞は聞き取れなかったのだ。 ロングショットのシーンは何が何だかわからなかったよ。台詞で緊張感を高める場面だというのに。 この傾向は同じくオダジョー主演の「アカルイミライ」でも感じた。この時のオダジョーの台詞はシナリオが欲しいくらいだった。よって作品に没頭できなかった。 最近60年代の吉永さゆり主演映画を見たが、音量は「10」で充分であった。なぜに昨今の日本映画は聞き取れないのか。俳優の滑舌の問題か、録音の問題か。 「ゆれる」は再度ヘッドフォンで鑑賞したい所存である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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