2007/08/10(金)12:05
女信長
西洋史を専門にし、ヨーロッパを舞台に小説を生み出している佐藤賢一氏が、なんと日本史に関して小説を書いていたんですね。それも見るからに胡散臭い『女信長』というタイトル。どうやら毎日新聞に以前連載されていたものらしいですが、織田信長が女だった、という歴史的には荒唐無稽な設定をどう説得力ある記述としているかが、興味あるところでした。
戦国時代、安土桃山時代において、注目を集める武将というと数限りなくありますし、NHKの大河ドラマでもネタに困らないようなところがあります。「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の御三方だけでなく、その周囲においても、様々な人物を想像することが許されているというのは、面白いことです。
さて、佐藤氏は、中世ヨーロッパのキリスト教の欺瞞的な態度にも目を向けていますので、そのような視点が日本史においてどう展開されているか、についても興味深いところでした。
そして、佐藤氏の織田信長の評価には、次のようなものが前提としてあるように感じさせられました。
それは、信長は、これまでの武将と比べて、まったく新しい発想をしていた、ということです。
そのことを次のことで語っていました。「種子島」として鉄砲は広く知られるところとなっていたにも関わらず、それを実戦で通用するようにしたのは、織田信長である、ということ。一武将の戦闘技術に頼るような戦い方から、足軽を中心とした熟練兵士には頼らない戦術、土地にしがみついていた兵士を土地から切り離し、半農的な軍隊を専門的軍隊にしたてあげた、ということでした。こうしたことはスペインの軍隊や政治に学んだということとしていました。
そして、信長を女として描いた理由もその斬新さにありました。また、男は戦乱と名誉を好むが、女は平和を願う、という台詞を信長に言わせていました。男は戦うことで名誉を得ていく、自分の存在を確かにする、というのは、現在の人間の姿とも重なるのではないでしょうか(男の本質というよりも、社会的に作り上げられた男性という意味ですが...)。
そして、その女信長と同様に、明智光秀もまた西洋式の軍隊を養成していて、その点で、信長と気が合ったということでした。
女としての信長の恋と破局が描かれていたり、なかなか複雑に絡む物語でした。
そして、比叡山の焼き討ちなど既成の権威を破壊しようとする様子も「女」であるからこそできたのだ、という描かれ方がありました。安土城を築城して天下取り間近においても、天皇との関係において権威を傘に着ようとはしなかったという点も、信長の持ち味として描かれていました。そして、最後は、その天皇に代わって自らが権威と権力の両方を併せ持つのだ、という考えに至っていたのではないか、としていました。
こうした中、佐藤氏の女性観というのも明らかにされているものでしたが、ややステレオタイプ化したものも感じさせられました。それは、織田信長が気が短かったということ。最初は、それを頭の回転がよいために、相手にも一を語るところで十を知れ、という態度でせっかちになりがちであったことが語られていましたが、最後のほうで、信長が秀吉など一部の武将たちに「女」であることがばれていきます。その理由としては、徹底して敵を攻撃してしまう点として描いているのは、どうなんでしょうか。また、破壊的に新しいことをするには女性の力が必要であるが、その後、秩序づけていくことは女性にはできないのだ、という見方を垣間見た感じもしました。
本能寺の変は、自暴自棄的になった信長に、光秀が手をさしのべ助けたのだ、という解釈です。そして、彼らは、結局は江戸時代にまで生き延びたのだ、ということなのですが、天海僧正が明智光秀だったのではないか、という説も取り入れていました。(こんな説もあるようです。)
佐藤氏の作としては、今ひとつでしたが、織田信長という謎に大胆に迫るという試みは大変面白く一読をお勧めいたします。