本日2016年12月16日午後12時50分、私の祖母が死にました。
享年87歳。現在の日本女性の平均寿命が87.05歳ですので、ぴったり平均寿命です。
息を引き取る2時間前まで、意識ははっきりしていたそうです。
私は死に目に会えませんでした。
しかし、その事は予測できたことでした。
最期に会えないのなら、最期の凝縮した時間を会えている時に希釈して使えばよいと考えました。
私は、できる限りの時間で祖母の様子を見に行きました。
どこか遠出をした時には、必ず祖母の好きそうなお土産を買いました。
私の視線で旅したルートがわかるように、まんべんなくこまめに撮影し、後日テレビ画面に映して見せました。
毎年恒例になっている、祖母が好きなウニのプレゼントが今年もできました。
何度も一緒にカニを食べました。
私が1人で作ったにぎり寿司、いなり寿司、巻き寿司を食べてもらうこともできました。
祖母は私がきれいにしているのが好きなので、入院してからはできるだけきれいな服、明るい色の服を着て見舞いました。
別れる時は必ず祖母の顔を触り、別れの挨拶をしました。
「これが今生の別れになるかも」と、何度思ったことでしょう。
そうやって私は、私のために、時間をかけて祖母との生活が完結する日への準備をしてきました。
それは26年前、私の祖父(つまり祖母の夫)が、急死によって私に教えたことでもありました。
年寄りが先に死ぬのは仕方がないことだし、その日は急に来るかもしれないのです。
私はできる範囲内で祖母と共有する時間を密かに充実させていました。
その範囲をもっと広げていたらよかったという思いが尽きることはありませんが、祖母のために私の時間を削ることは祖母が嫌ったことでもありました。
祖母が死にかかっている時、私はそのことを知らず、なすべき場所でなすべき事が普段通りできました。
2016年に始めたこの日記の祖母に関する投稿は、「祖母」・「祖母2―しろちゃん―」・「祖母3―昔話―」の3つを合わせて658個です。
10年間、「祖母」はこの日記のメイン項目でした。
私以外には書けなかったこれらの記録は、私のこれからの人生のためにあります。