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カテゴリ:美術館巡り
山口さんは「京都に行くと必ず妙心寺で虎の絵を観てくるの」と言っていた。
それが今年は虎の絵を東京で見れる、と言うではないですか…。 -そんなに虎の絵はいいのかなぁ。。。- と思っていた。 重要文化財の龍虎図屏風(りゅうこずびょうぶ) 狩野山楽筆 の絵を ぜひこの目で見ないと~と思っていたら、 …なんと2月8日まででした。とほほ;;~ぁ~そうなっちゃいます? 妙心寺のチラシには 『会期中、作品の展示替えがあります』と端っこの方に書かれていた。 いつもですが 私は文章をよく読まない。 これに気がつかず、で 虎の絵は見れず。 これは京都の妙心寺まで 行かないとみれまへん。 『虎穴に入らずんば虎子を得ず』 虎の穴に入らなければ、虎の子供を得ることはできない・・ →あぶないめにあわずにすばらしい成功を収めることはできない 京都に行かなければ、もう虎の絵は見れません。((^^;) その代わり、 重要文化財 花卉図屏風(かきずびょうぶ) 海北友松筆 がありました。 この牡丹はバックが金箔でそれは見事な絵でしたが、 ちょっとお花多くないですか?・・まぁ好みの問題ですが。 寺の中でこの屏風を見たほうが ぐっと趣はでたでしょう・・。 妙心寺は建武4年(1337)、花園法皇(はなぞのほうおう)が自らの離宮を禅寺としたことに始まります。そして、開山(かいさん:初代住持)として花園法皇によって迎え入れられたのが関山慧玄(かんざんえげん)(諡号(しごう)「無相大師(むそうだいし)」)でした。 関山慧玄やその師、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)をはじめとする名僧たちの墨蹟(ぼくせき)や頂相(ちんそう)、妙心寺を支援した細川家など諸大名に関する作品、中世以来妙心寺に伝わる唐物・唐絵、室町時代から江戸時代にいたる多様かつ華麗な屏風や襖絵、白隠慧鶴(はくいんえかく)ら近世の高僧の活動を伝える墨蹟・禅画など、妙心寺の禅文化を彩る貴重な文化財は、禅宗史にとどまらず、わが国の歴史や文化を物語るうえで重要な位置を占めています。 本展は、無相大師の650年遠諱(おんき)を記念して開催されるもので、六世紀半にわたる妙心寺の歴史の中で花開いた禅の文化を、国宝4件、重要文化財およそ40件をはじめ、妙心寺本山ならびに塔頭の所蔵品を中心にご紹介します。 中でも 白隠(はくいん)が自分で筆を取って 気合の入った文字で書く書道、 達磨の絵(自画像)を描いていた。これは庶民に臨済宗を広めようという試みから 生まれたことで、彼の功績は素晴らしいと思いました。 華麗な屏風図や襖絵が見れますが、良いなあと思ったのは狩野元信の描いた 『渓山問奇図』でした。 この絵だけ奥行きがあり、遠くにある山も墨の筆の線の感じで遠近がよく出ていた。 他のものはどうも平坦なものばかりで、掛け軸の絵、ふすまの絵にはあまりお金をかけず力を入れてなかったのだろうと思わせるほど。 妙心寺は”禅寺”だから 修行をする所なのであって、 そんな絢爛豪華な寺にする必要もないというわけなんですね。 そんな妙心寺に 妙に行きたくなったのは、 虎の絵を見れなかったこともあるけど 白隠や劉の絵で、親しみを感じたせいかもしれないです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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