あまりのご無沙汰で
ずっと長い間 閉店休業していたにもかかわらず、それでも今日 店の中をのぞきにいらして下さったお客様、本当にありがとうございます。虹の橋に渡った七色、れれボン、まだ生きているだろう隊長のことを気にかけて下さってありがとうございます。閉店休業している間に、ななれれ地方は大きな地震がきました。ご心配をいただき、コメントを下さった皆様には今更ながらお礼を申し上げます。毎度すみません💦物損の被害が多少あった程度で済みました。<(_ _)>さて、今日は今日こそは、七色の最期の時を皆様にご報告して終わりたいと思います。長くなるので、座ったまま聞いててよろしくてよ。← 何様?10月20日いつもの通り、朝8時前に病院の駐車場で開院を待った。その日も朝からエコーで検査をし、夕方5時まで点滴をして、吐き気とお腹の張りの苦痛を取ってもらった。5時が待ちきれなくて1時間早く迎えに行った。先生は、少しでもゆっくり長く点滴をした方がいいのでと言うので、待合室で待っていた。今日も奥の部屋からダッシュで逃げかえってくるんだろうなと待っていたら、先生と同じ速度で歩いて帰ってきた。その姿を見て涙を必死にこらえた。「 ななちゃん、今日もご苦労様。よく頑張ったね。もうすぐお家に帰れるからね 」 と抱きしめて会計を待っていると、七色が突然 立ってその場で ウンPをした。赤茶色の便だった。受付の人に言って片付けてもらってる時に、七色は自分のうんPから逃げることもなく、じっとしていた。あきらかに いつもの七色ではなかった。でも私はその時ですら、便が出たのはお腹が動いた証拠だから良かったと思っていた。いや、そう思い込もうとしていたのだと思う帰りの車に乗る時、七色は飛び乗ることができずドアの前でタイミングをとっていた。この時はもう飛び乗れる体力も脚力もなかった。「 ななちゃん、ママが抱っこしてあげるからね。大丈夫だよ 」 と後ろ脚を持った瞬間に嫌がって自分で飛び乗った。七色はれれボンと違い、最後まで歩き、乗り、排泄し、私に介護をさせなかった。七色は誰よりもプライドの高いワンコだった。家に着き、自分で車から下り、おしっこをしようと促したが、立ってるだけで動かなかった。玄関の階段をゆっくりと上り、脚を拭き、家に入り、マットに寝せた。それから数分後、七色の息遣いが急に荒くなった。それは七色の最期を意味していた。私は 全部私にとって七色がどんなに大切な存在だったか、一緒にいて幸せだったか、を伝えたかった。耳は最後まで聞こえていることをれれボンの時に感じたので、最後の最後まで、私の声で送ってあげようと思った。でも言えたのは、ありがとうと よく頑張ったねと、れれボンが迎えに来てくれてるから大丈夫だよ。だけだった。七色の息が止まった。ダウンの姿勢のまま、まだ温かかったので、目を覚まして立ち上がるんじゃないかと思えた。私は七色の名前を 大きな声で叫んでいた。何度も。そして泣いて泣いて泣いた。七色の前で泣くのをこらえていた分も一気に流れた。こんなに泣いたことも 悲しかったことも今までなかった。私がずっと夢に描いていた画は、ベビーカーに乗ってる孫の横を歩く七色の姿だった。10月20日 その同じ日、孫が誕生した。20分後、七色は孫と入れ替わるように旅立っていった。七色の死を知らない娘が病院からLINEで名前を送ってきた。その名は 「 といろ 」 だった。七色の死因となった病名は半年前に手術した胃捻転とは関係がなく、恐らくは腸の悪性腫瘍だと思わます。七色亡き後も、このボログで知り合ったワンコさん達が次々と虹の橋を渡っていきました。本当に寂しいことです。この場をお借りして、お悔やみ申し上げます。みんなよく頑張ったね (´;ω;`)ウゥゥそして今、ワンコさんが病気や介護状態で 悩んだり苦しんでいるワンコの飼い主さんもいらっさることでしょう。何もできませんが、お気持ち分かりますし、陰ながら応援しています。皆様には、このボログを通して、本当にたくさんの幸せをいただきました。感謝しかありません。七色亡き後、ボログでもお馴染みのたくさんの思い出を紡いできた にんじんハウスにも別れを告げることになりました。長い間、七色、レレボン、隊長を見守って下さり、本当に本当に心からありがとうございました。もうワンコを飼うことはないと思いますが、でも私はやっぱりレトリーバーが大好きです。 ななれれ隊長