この世はバーチャル
これを理解、というか自分なりに納得してしまうと、人生への深刻さが薄まるのがわかります。生きているという錯覚と、死んだ後にそれが錯覚だったと気づく自分の意識は、イコールなのではないか。だから、死ぬということは、「この世」という悪夢から目覚めることのような気がします。よく、”物心つく”と言いますが、それがいつを指すのかといえば、前の人生を終えて、今回の人生、つまり自分が男なのか女なのか、どの国に生まれたか、どんな親の元に生まれたかを自覚する瞬間ではないかと、個人的に思います。自分が選んだという意識もなく与えられた生(せい)と肉体的精神的能力的スペックを受け入れること、そしてそれに見合った人生を自分で創造していくという覚悟を持って生きている人だけが、この世という悪夢の中にあって”いい夢”を見られるような気がします。