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ケータイをauに切り替えて何ヶ月だっけ…。
恐らく1年経ってない…よね。 DOCOMOの頃よりも3,000~4,000円ほど通話料削減に成功したし、 決して評判がいいとはいえないW21SAの使い心地も、なおニン的には満足。 確かに写真を撮るときに指がレンズにかかりやすかったり、 角張ってて厚みがあるけど、塗装が剥げにくい。 扱いが雑な私には持ってこい。 壊れるか、さらなる魅力的な機種がでるまでは変えるつもりはない。 ところで。 auのケータイには自動時間補正ってやつが付いているらしい。 電波時計と同じシステムかどうかはわからないけれど、 どっかの基地局から送られてくる電波を端末が受信することで、 標準時に合うようになっている。 GPSが使えるケータイならどれでも可能な気がするけど、 張り切ってやっているのはauだけみたいで、 あとはFORMAあたり…? マニュアルはいつも最低限しか読まない私は、そんなことも知らなかった。 だから毎朝相方と私のケータイは寸分違わずぴったり同じタイミングでアラームがなる。 実に無駄なんだけど、ふたりとも朝7時にセットしている。 だったらどちらかひとりがやればいいものを、なぜだか未だにふたりして鳴らしている。 頭がいいカップルならどちらかが10分後に鳴るようにしておいて、 二度寝を防止する、なんてことをやりそうなもんだけど。 いちいちなにをするにも‘めんどくさい’相方と、 二度寝しない自信に満ちた私には変える気がない。 狂わない時計。 そのありがた味には意外とピンとこないものがあるけれど、 使ってみるとなんともいえない安心感を感じてしまう。 交通機関の時間にだってドンピシャ合ってるし、 テレビやラジオの時報にももちろん合うわけで、 これって結構気持ちいい。 かつて電波のBABY-Gをなくしてしまって落ち込んだのは、 その快感もろともなくしてしまったショックもあったのかも。 それを今はauのケータイが補ってくれている。 でもね。 秒単位で流れる時間に踊らされるような生活は、 実はもうまっぴらごめんになっていて、 食事やつきあいや趣味や寛ぎや健康といった 本来人間に不可欠なマターをないがしろにしてまで働き続けることに、 切なさを感じてしまう。 何のために働くのか、 何のために生きているのか。 お金さえあればもっと人間らしい生活をしたいのに、 ってことはお金のために仕事をしているだけなのか、 仕事のためにせせこましい都会で暮らしているだけなのか…。 この堂々めぐりはここ数年、いくらやっても答えがでない。 夢に近づくってことは、 まずいろんなものを捨てることから始まるってことなのか。 今日も今日とてなんだか悶々としているのは忙しない仕事のせいか。Click, please! ↓ 人気blogランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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