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Natural charms

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Aug 6, 2009
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先日かいたブログ
奈良に呼ばれて
に登場するDのご両親の活動がとても素晴らしいのでご紹介したいと思います。

ご両親は私の友人であるDをなくされた後、
Dの妹のMちゃんも交通事故で失ってしまいました。
二人兄妹でした。



その後、お二人でイギリスウェールズへと日本を離れ
シニアボランティアの活動に行かれました。
そこで
世界がもし100人の村だったら

奥山友美/世界がもし100人の村だったら ~little wings~(CD)

を子供たちに読み聞かせ絵を描く。
ということに取り組まれました。

世界がもし100人だったなら
争うこともなく、助けあって生きていけるのではないだろうか。
と語ってくださいました。

イギリスから戻られた後は年に一度、
全て実費で、この活動に共感してくださる場所へ
色鉛筆や紙を持って子供たちに会いにいかれています。
現地での絵の指導はもちろん全てボランティア。

私もいつかお二人の力になれたらと思っています。


子供たちと

マサイ

HPはこちら→世界の子供たちが描く「世界がもし100人の村だったら」ぜひ一度ご覧ください。



ご両親が言ってました。

私たちの活動が素晴らしいと言っていただくことは
嬉しいことですが、
そんなことはどうということはありません。
世界中の子供たちの絵を見てください。
素晴らしいのです!!




ご両親の今後の活動の一つにある提案をさせて頂くと
お二人とも目をきらきらと輝かせ
是非、実現させたい! と
その話で持ちきりになりました。

できるかどうかまだ解りませんが
実現できるよう、ご両親のためにも自分のためにも
他のたくさんの人のためにも
がんばってみようと思っています。

もし気に入っていただけたら
ご自身のブログで紹介して頂けると幸いです。



世界の子供たちが描く「世界がもし100人の村だったら」


mico





足跡a day 足跡


午前10時Hideと奈良駅で待ち合わせた。

前夜、十数年ぶりにみんなで呑んだ。
ロン毛でチャラ男のHideはまるで当時の面影もなく
私の知ってるHideの2倍くらいのおっさんに変身してた。(爆)

とりあえず、カフェ?というより喫茶店に入り
なんだかんだと話は尽きないものだ。

いくら話しても、当時は訳もなく楽しかった。に行きつく。
短い期間だったけれど、人生にあんなに楽しい時間を持てたこと
とても幸運だったと思う。
出逢った人々、すべてに恵まれていた。

約束の時間が近づきカフェをでると
空はどんより曇っていた。
朝は晴天だったのに。

奈良から生駒までは電車で20分ほど。
電車の中から外をみてると広ーい広場?の真ん中から
突然雨に変わる。
それもものすごい土砂降り。
生駒駅に着くと雷もゴロゴロ。。

浄化だ。。。 しかも雷つき。。。
みんな流してくれる。
心のなかでつぶやいた。


カナダから戻ったあと一度来た。15年くらいまえかな???
当時、とてもこじんまりとした駅だったはずなのに
駅ビルが建ち、ロータリーができて様変わりしていた。

土砂降りの雨の中、DAIKIのお父様が迎えに来てくれた車に慌てて乗り込む。
白髪が増えたお顔を拝見して年月を感じた。
車の中では緊張して黙っている、Hideもわたしも。

そこは生駒の山をどんどんのぼり見晴らしの良い高台にある。

あんなに降っていたのに、、、
DAIKIの家の前に着くと雲から太陽が現れて
雨はほとんど上がってしまった。


DAIKIが温かく迎えてくれてるのがわかった。
ありがとう。。。ぽっ


玄関ではお母様がとても嬉しそうに迎え入れて下さった。
お元気そうでほっとした。


Hideと二人ウエッジウッドの小物が素敵に置かれた
祭壇の前に座った。
クリスチャンのおうちなのでお線香は焚かない。

15年前と違っているのは
祭壇に飾れれている写真。


Daikiはカメラマンの卵だったから、数年後、ご両親が写真展をされた。
彼の写真を集めた写真集「空」も自費出版されていた。

その写真展は朝日新聞の大阪版でも取り上げられ
たくさんの方が見に来て下さった。
わたしは奈良に行き、お手伝いさせて頂いた。

その時、受付で一緒に過ごしたDaikiの妹Mちゃん。
彼女の強さに心を打たれて、たくさん元気をもらった。

そのMちゃんも、10年くらい前だろうか。
事故で亡くなってしまったのだ。


祭壇にはMちゃんの写真も飾られていた。
あどけなく笑うMちゃん。
事故のことを知っていながら
ご両親のことを思うと何と声をかけたら良いか
わからなくて、何もできなかった。


そして、一通り写真に目をやり正面をみると
キャンプにこれから出発するぞ!
と云わんばかりのあどけない6人の写真。
みんなライフジャケットをつけて、
Daikiはオールをもって、私は真ん中で笑っていた。

一瞬にしてあの時に戻ってしまった。。。

ご両親も、もうすっかり落ち着いた生活をされているのだから
泣いてはいけない。って思っていたけど

止められなかった。

泣き出すと止まらなくなってしまう私は
必至でとめて、照れ笑いをした。泣き笑い


4人で世間話に花を咲かせ少しすると仕事を終えたYがやってきた。
お母様が嬉しそうに笑った。

毎年命日にすぐそこのお墓までDaikiの吸っていたたばこを備えていたY。
Daikiのタバコを吸っていた期間は短く、その銘柄を知っている人は少ない。
だから、Yが来ていたことをご両親は知っていた。
そして、彼が顔を出さないことを気にされていた様子だった。

彼もやっとの思いで会いに来ている。
昨夜のおちゃらけはどこにもなく
めちゃめちゃおしゃべりなのに、ほとんどしゃべらず、
ずっと緊張していた。

それがご両親にも伝わっている。

Yに話をふっても、いつもあんなに楽しく話を膨らませるくせに
ちっとも。


前日、だいぶお酒が入ったら当時の話になった。
あれ以来、あの事故以来、この話題に触れたことがなかった。

やっぱり云った。。。

「オレノセイヤネン。」

人は、それは運命だった、とか、
宿命だった、、とか、
~のせいじゃないよ。とかいうけど、


そうだよね。って思ってみるけど、、、


そう簡単に割り切れるものではない。

私もYと同じ思いをずっと抱いてきた。
最後まで一緒にカヌーに乗っていたのは私だったのだから。
わたしがあの時。。。

なんど悔やんでみてもDaikiは戻ってこない。


一生、消えない。
それは仕方がないって思う。。。








みんなでお昼御飯に行くことになり
近くの日本料理屋さんで懐石を頂いた。
少しお酒も入り和んだ。ぺろり


食事を終え、外に出るとまたまた土砂降りの雨。雨
雨のなか大人5人車にぎゅうぎゅうに乗って
霊園へ。。。


すると、またあの土砂降りの雨がやむ。
そして空からまた太陽が顔をだす。晴れ

お墓参りを済ませ、車に乗り込み
霊園を出ると同時に、また土砂ぶり!!!雨


そしてまたお家に着くとまたまた晴れた晴れ



この日の天気の移り変わりはとても偶然とは思えなかった。
他の人は気づいてたのか、気づいていなかったのか
なんとも思ってなかったのか。。。
誰もそこに触れる人はいなかったけど。


Daikiのいたずらかだか、Daikiの心配りか知らないけど
大きな力におちょくられているような遊ばれているような。。。
そして歓迎されているような。。。


そんな一日だった。















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Last updated  Aug 6, 2009 09:15:39 PM
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