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カテゴリ:生活・文化
私は或る人から佛と神はどちらが上なのか?という質問を近日得ました。
私は今まで当然、佛よりも神が断然早くから存在し、宇宙全体を先ず創造し支配した一番上の存在だろうと考えていたのですが、どうやら少し考えが変わり始めました。 それは、たとえ神が全宇宙を造った真実の創造主及び支配者だとしても、現実の宇宙全体規模の実態からすれば、どこまでも完璧な支配組織の維持は有り得ず、案外、佛あるいは佛道修行者のような存在が完璧な真実の状態を知らずにも打ち破って、たとえ一時的にも抜け出て何食わぬ上層支配をできているということも自然に有り得るように思えてきたのです。 そして、恐らく宇宙の最初の真実とはすべての物事が五分と五分の完璧な平均化された確率が存在し、いわゆるその状態が佛教で言う「空」や「無」であると思えるのです。 たとえば、それは宇宙の存在自体が有なのか無なのかが五分五分という位、また生きるか死ぬかの確率も五分五分というものが無の状態、つまりこれが最初の状態といった概念ではないかと思えるのです。 その最初の無の状態に対し、何らかの指向達成上、有へ変えたいというエネルギーが別に発生するなら、それが神に対する佛などの存在の必要性だと思うのです。 それは、神が元々の無空な状態へ単純に戻そうという正統なエネルギーだけを動かしているなら、生じてしまっている均衡バランスの崩れた有のエネルギーに対し、ゆっくり時間をかけて調整するための神との協議が必要になるという考えが恐らく佛法なのでしょう。 なお、如來とは、この世が最初の無の状態から最善のプラスであろうと最悪のマイナスであろうと有の状態への変化が支配的に進み過ぎた時、救済にやって来るといわれますが、これに対し佛陀とは、無が優勢な状態である時こそこの世に存在すると考えられるのではないでしょうか? ⇒ リンクHPブログへ 第12-03日号-vol-306-是の堅滿菩薩次に當に作佛すべし-比喩品第三-その12-七十一行-七十八行/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.03 16:49:21
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