テーマ:ドライブ・小旅行(1735)
カテゴリ:今日の事
私の実家は、埼玉県の川越市にあります。
幼い頃祖父母に日中預けられ、祖父と川越の街を散歩していました。 現在みたいに活気がある街ではありませんでした。 今、大人気の菓子屋横町など大通り沿いの店以外お店を辞めてしまって散歩には、丁度良い抜け道でした。 先日一緒に買物などをした友達と又一緒に出かけました。 まずは、基本の蔵造りが並ぶ街へ。 明治26年の大火。 大火の際に焼け残った建物が伝統的な工法による蔵造り建物であったことに着目し、商人たちは競って蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てました。 数年前に出来た「川越祭り会館」にを止めて、まず会館の中へ。 小、中、高生の修学旅行に選ばれている場所らしく、いつも観光客と学生でにぎわっています。 時の鐘は、寛永年間(1624年~44年)に川越城主酒井忠勝が、城下多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初といわれています。 現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。 3層構造の塔で、高さ約16メートル。寛永の創建からおよそ350年間、 暮らしに欠かせない「時」を告げてきた川越のシンボルです。 現在、1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)、蔵造りの町並みに 鐘の音を響かせています。(川越市HPより引用) なにやら、鐘の前がにぎやか。 ちょっと行ってみたら、交通安全PR活動でした。 兜をかぶった姿の人達や警察官がチーちゃんを「こっちこっち」って連れて行ってしまったのー。 TVカメラも来ていましたが、多分「埼玉テレビ」。 やテレビカメラ向けられてました(笑) その後横道に入り、養寿院へ。 ↑チーちゃんと友達の後ろ姿です。 養寿院(ようじゅいん) 曹洞宗、青竜山。寛元(1244)河越太郎重頼の曾孫にあたる経重が開基となり、大阿じゃ梨円慶法師が開いた寺である。初めは天台宗であったが、天文4年(1535)曹洞宗に改め、江戸時代いは御朱印十石を賜るなど、曹洞宗の古刹といわれている。本堂には、河越氏が新日吉山王社におさめた銅鐘(重要文化財工芸品)が保存されている。この銅鐘の鋳物師は鎌倉の大仏を作った丹治久友の作である、また、銅鐘の「池の間」に刻まれた"河越"の文字は、川越の歴史上まことに価値の高いものである。墓地内には、河越太郎の墓と川越城主秋元但馬守に仕えた名家老岩田彦助の墓(市指定文化財)があるが、岩田彦助は才智に富んだ人物で殖産、開発に努めたことで知られている。また、本殿には1260年に造られたという銅鐘(重要文化財)がある。 その後、近くのレストランでランチ。 昔からある小さいレストランなんですが、私は行くの初めて。 気になっていたレストランだったの。 でも、なかなか行く機会が無くてねー。 お昼時だったので、すごく混んでいました。 店員さんは、額に汗 気持ちよく分かります。 次は、私達夫婦が挙式をした神社へ。 次のブログにつづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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