~Singing Flower~

2006/10/06(金)08:13

『そして100年後の俳句集』

Tanka & Haiku(12)

「自費出版で俳句集を作りたいんですけど」 「○○万円程で、5ヶ月位お時間いただければ・・」 「もう少し早くできないでしょうか?」 「そうですねえ、お急ぎでしたら4ヶ月位で」 「4ヶ月ですか・・・」  (4ヶ月ではダメなんです・・・) 「お値段は、もう少しお勉強できますが」 「もう少し早くできないでしょうか?」 (時間はお金で買えないでしょうか・・・・) 「編集などにお時間がかかりますので、4ヶ月はどうしても・・・」 「そうですか・・・」  自費出版を扱っている出版社何軒にも電話をした。  でも答えは皆、似たようなものだった。季節は晩春、春はもう終わろうとしていた。 母に残された時間は3ヶ月。 たった1ヶ月のことだけれど、私にとってその違いは大きかった。 その時、ふと年末のパーティで出会った方を思い出し、すぐに電話をしてみた。 残された時間がないこと、句集を出すのが母の夢だったことなど相談してみた。 「やってみましょう」そう言って下さった。 私は俳句を作らない。どう選句し、編集したらいいのかもわからない。 自分の命の短さを知らない母に、「句集を作ろうか」と話し、膨大な俳句の中から選句を始めた。 のんびり句を選んでいるうちに時がたち、母の体調は日ごとに悪くなっていった。 かなり時間がたっているのに、選句はすすまない。 もう句集をつくるのは無理だろう・・・あきらめかけたある日、その出版社から心温まる暑中見舞いをいただいた。 「もう無理かもしれません」お侘びの電話を入れた。 「まだ、大丈夫ですよ、全力を尽くしますから」 そう言って下さったので、たとえ間にあわなくてもと、選句はあきらめ、今まで賞をいただいたものを中心に、2日間で大雑把に編集しパソコンで打ち込み、持ち込んだ。 それから1カ月。季節は初秋。 「できました!」という電話をいただき、大雨の中取りにいったのが、この句集だ。 「夏薊」(なつあざみ)。母の好きだった紫色(実際の色はもっと薄め)。 還暦をすぎて俳句を始めた母にとって、老後の楽しみは句作だった。 その年の初めには、NHKの全国俳句大会で特選と生涯学習賞をいただき、NHKホールの壇上に座らせていただいたのもいい記念になった。 結局その句集ができてから、母はさらに三ヶ月ほど頑張ってくれ、その年の終わりに逝った。 句集をフル回転で作って下さったおかげで、元気な時に枕元においてあげることができた。 出版社の方に、感謝の言葉も見つからない程ありがたかったとお礼を言うと、 「あなたが、あまりに一生懸命だったから・・・」と言われた。 心の底から願ってはいたけれど、必死の形相だったのかな、私。 ここで一句できればいいのだけれど、残念ながらその才は受け継がなかったようだ。 よかったら、クリックしてくださいね!   ↓    ↓

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